使い捨て傘袋は使わない
雨の日にスーパーに行くと店頭に使い捨ての傘袋がある。短かければ数分の店内滞在で一枚がゴミになる。
私は電車通勤がきっかけで、使い捨てでない傘袋を使うようになった。雨の日でもギュウギュウ詰めの通勤電車の中では、濡れた傘を避けることはできない。他人の傘はどうしようもないが、自分の傘だけでもどうにかしなきゃ―と思ったので傘袋を買った。以来、電車に限らず買い物などに行くときにもマイ傘袋を持って行く。
雨の日に出かけて図書館に寄り、ドラッグストアに寄り、スーパーに寄ったとすると、使い捨て傘袋利用だと一人で一日に三枚も捨てることになる。マイ傘袋だとゴミを増やす罪悪感も削減できる。
私が子どもの頃、使い捨て傘袋はおろかレジ袋もなかった。それどころかスーパーマーケットもなかった(都会にはあったが、子どもには知る由もなかった)。買い物には買い物カゴを持ち、豆腐は鍋を持って買いに行った。スーパーマーケットができてから暫くして、紙袋をくれるようになった。持ち手のない茶色い袋だった。それからまた暫くして、今のようなレジ袋をくれるようになった。物を「タダでくれる」というのがとても意外だった。
たくさん作ってたくさん売れれば価格は安くなる。高価なものは捨てにくいけど、安いとその敷居が下がる。高度成長期からバブル期にかけてゴミの量は大きく増えた。ゴミを燃やすとエネルギーを消費し、環境に負荷がかかる。埋め立て処分場の残容量は減りつつある。
ここ数年の夏の暑さと雨風の凄まじさを思うと、ゴミ処理の限界がくるのと、自分の限界がくるのと、どっちが先だろうかと思う。自分の限界はどのみち遠からず来るのだが、今まだ小さな子どもたちは、生まれる前に始まっていた問題のツケを払うはめになるのだろうか?どうやって?
子どもが笑っていられなくなるような未来にはしたくない。
私は使い捨て傘袋は使わない。私でもできることの一つだし、小さなことでも何もしないよりはマシだから。