見出し画像

食のミニマリズム:甘いもの手放しが上手くいきそうです

皆様、こんにちは。
今回は、まだ経過観察中ではありますが、「これは手放せるぞ」という手応えを感じたので、記事にしてみます。

♡甘い誘惑

今回手放しの目処がついたのは、
『甘いお菓子』
です。

●お菓子は大好きだし、多分、今後も食べる

手放すのは、“無節操な食べ方”です。
今後は、質を重視した食べ方にシフトしようと思います。
ただ、その流れの中で自然と、付き合いやイベントやたまの刺激程度の摂取に収まりそうだな、と予想できるので、結果的に趣味や嗜好品程の頻度では食べなくなる気がします。

●中学生の時からやめられないお菓子、ミニマリストになっても相変わらず・・・

私とお菓子の歴史は、現在30代ですが、振り返れば中学生からの付き合いだと思います。

中学生の時は、チョコパイやポテトチップスが大好き。
一箱・一袋という単位で食べていました。
時には、それ以上。
社会人になってからは、誰にも怒られないからと、ポテチ二袋大人食いとか、好きなだけコンビニスイーツを買い漁るとか、楽しんでいました。

ここ最近は、お菓子業界も進化が凄い。
安価でも、独自のフレーバーや食感で楽しませてくれるお菓子が目白押し。
高級なお菓子は、勿論美味しい。

●お菓子の同居人「ストレス」

定番ですが、お菓子を食べている時や、過食傾向が出ている時は、同時に強いストレスも存在していました。

私の場合ですが、
学校に行きたくない、
仕事が苦痛、
ダイエットが成功したのに誰も体型に触れない、

等です。

●お菓子がやめられないのは、ストレスが原因だと思っていた

私は、心理的アプローチを積極的に行っていました。

自愛をする、
ストレス要因を可能な限り無くす、
健康的な食事への認識を良くして栄養で身体を満たす

等です。

どれも一時的には上手くいくのですが、継続的な成果にはなりませんでした。
そんなこんなで、かれこれ、中学生から、私にとってお菓子は、“やめられない”存在。
特に、ポテトチップスよりもチョコレートやアイス等の甘〜いお菓子が、どうしても好き。
ケーキやパフェやマカロン等、見た目が麗しいスイーツはその芸術性も相まって、人生の潤いに感じる。
この伝統的な技術は守られるべきだ!
───ミニマリストになり必要な食事について考えるようになってからも、この欲求は相変わらずでした。

なので、そこまで好きならば否定することもあるまいと、ここ数年は逆説的に、『それが好きな自分を責めない』みたいな考え方を取り入れて、お菓子を食べてしまうことに違和感を残しつつも、美味しく頂いていました。

●美味しい栄養補助食品で得た気付き

そんな私に、なんと、来ないと思っていた転機が訪れました。

それは、栄養補助食品を食べていた時です。

その商品は、食べやすいように、ブラウニー風に作られていました。
これが本当に、美味しい。
ビターチョコは甘すぎず、上の層のコーティングはフカフカ。下の層はやわらかしっとりとした記事で、口の中でとろけるんです。

食べ始めた最初は、
「美味しい〜!また食べたい!普通のお菓子とクオリティ変わらないよ〜!」
と、いつも通り喜んでいたんですね。

しかし、その時に思う所がありました。

(でも結局、いざ食べるのは、お菓子なんだよなあ)

今回は体調不良の関係で、たまたま、お菓子を模した栄養補助食品を食べていたのです。
そして、とても美味しかった。
ということは、お菓子を栄養補助食品に代替する方が、今後の選択として、健康という観点では、まだマシな選択ではないでしょうか。
しかも、栄養補助食品は、とても美味しいんです。

けれど、いざ、お菓子とソレを模したものの両方を選択肢として出されたら、私は迷わずお菓子を選ぶだろう。
それは、容易く予想出来ました。

───という事は、先程挙げた、栄養補助食品の良いところ・・・

食感がフワフワだとか、
なめらかでとろけるだとか・・・

関係なくない?

と、気付いてしまったのです。

それだけ美味しかろうと、もっと美味しい!と感じれば、そっちを優先するわけです。
ということは、あくまで私が欲してるのは『美味しい!』という衝撃。

●何かに似ているぞ・・・?

そして、私がお菓子を手放そうと、ごく自然に思えたのが、ここからです。

『美味しい!』を求めるこの感覚・・・
何かに似ている・・・

「タバコやお酒だ!」

はい。
あくまで、私個人の感覚なのですが、ソレと同じではないかと気付きました。

●嗜好品肯定的派

私は嗜好品肯定派なので、
タバコやお酒も否定はしません。
お菓子も同様です。

『それが欲しい!』
という直感で動いたり摂取するのも、
心や五感を使うので、刺激として大切だと思います。

なので、以下はあくまで、
“私の個人的なボーダーライン”の話です。

●それは選択か、命令か

これは突き詰めると『自由意志など存在するのか』という話になってくるので、現時点では結局最終的に、個人的な感覚による線引き──という曖昧なもので決めるしかないのですが。

私の個人的な線引きとしては、
タバコ/アルコール/お菓子
これらは、それ単体が持つ依存性が高い。

なので、自分の「これは必要か?」という問いが聞こえなくなる気がするのです。

そんな問いを挟む間もなく、無意識の内に、先に脳が『摂取せよ』という脳に造り変えられるイメージ。

そして、騙され続ける気がするのです。
頭の中にはそれが必要な理由や、
それが無ければダメなんだ!という衝動が湧き上がるので、
理性も含めて、正当化が始まる。

その結果、自分ではまさか、依存してるなんて思わなくなる。

ちなみに私の中で、
タバコ≫アルコール>お菓子
という順番で依存性が高いイメージがありました。

なので、タバコに関しては、そもそも一度も吸ってません。
アルコールは、妊娠をキッカケに自然と遠ざかりました。

そして今回、お菓子とも遠ざかるキッカケが出来ました。

正直、あまりにも長年挫折してきた手放しで、半ば諦めて共存ルートを考えていたので、ビックリです。

●結局「イヤなことをやめた」だけ

説明するまでも無いかもしれませんが、上記の内容には科学的根拠とか無いです。
ただの、個人の選択です。

私は私の曖昧な線引きの上で、
何となく、お菓子を食べるよう脳にコントロールされてる感じが嫌だなあ・・・と思うだけです。

つまり、お菓子を手放す=イヤなことをやめただけ

ということに、なります。

なので、お菓子や嗜好品に対して、良いも悪いも無いという事です。

今後の人生でも、付き合いや思いつきで食べることはあるでしょう。

いいなと思ったら応援しよう!