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「ちょうどいい」がわからない

「0-100(ゼロヒャク)思考」。
「白黒思考」「二極思考」ともいわれる。

巷では、よくないもの、治すべきものとして扱われているが、
私としては「0-100思考」で行動したほうが脳が疲れなくて、しかもパズルのピースがはまるような感覚になれるから、やめられない。

「0-100思考」ではなく中間点で踏みとどまることはとても頭を使うため体力を奪われる。しかしその一方で、中間思考ができた時は達成感に満ちて、自己肯定感がとても高まる感覚になる。

以下、具体例。
↓↓

○親とは異なったとしても自分の意見を言う、年に一回は顔を出す、たまに連絡をとる
●親の言いなり、親の望む子どもで過ごしてきて、ある瞬間に爆発。反抗ののち、関係を断つ。

○パートナーに対してお願いしたいこと、変えてほしいことがあったらその都度伝える。話し合ってお互いの妥協点を見つける
●「〇〇してほしい」と自分の意見を言って否定されるくらいなら、言わないで我慢して、自分でやったほうが楽。そしてある時爆発して別れを切り出す、もしくは何も言わずに立ち去る

○ファミリーパックのお菓子は2,3個食べて終わり。ご飯は腹八分目で止められる。
●大容量であろうが残っていると気になってしまうため苦しくても全部食べてしまう。腹八分目まで食べると残りの2割の空白を埋めたくなるため、十分目、さらにそれを超えて食道や体全身まで食べ物で埋め尽くしたくなる。
⭐︎解決策:コスパの点は諦め、コンビニで食べきりサイズのものを買う

○折り合いつけながら細く長く生きていく
●生きてても疲れるだけなので、できるだけ頭を使わずに責任感や緊張するようなことをせずに生活して、できるだけ早く死期を迎えたい


最近は、人と会って話して満たされる感覚というのがなくなっている。
以前から、人と会うのは疲れるタイプだけど、良い出会いは心が満たされるから、たまになら大歓迎って感じだった。けど、今はあんまり心が動くことがなくて、こんなお金と時間を使うくらいならこの時間一人で家にいたいって思ってしまう。家にいたところで何をするわけでもないのに。

ショッピング、お店を見て回っていて、ワクワクとか高揚感みたいなのがなくなったのは楽になった。その瞬間は楽しかったけど、脳内がぐるぐるして躁状態のようになって、必ずその後ぐったりしてたので。その乱高下がなくなり、今はぼやーっと眺めて見て回ってる。その分、その後の鬱みたいなのもなくなった。


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