檸檬

未来の自分へ記憶を残すための雑記。

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教員を目指し、諦めた理由。

私は、教員免許はありますが、教師や教育系の仕事には就いていません。 今回は、過去に教師を目指していた時のことについて書きたいと思います。 そもそも、なぜ教師を志し、教員養成系の大学に入学したのか。 一番の理由は、親が教師であり、上の兄弟も教師を目指して大学進学していたことだと思います。 身近にいたから、どんな仕事をしてどんな生活を送っているのかが想像しやすかった。 教師を志す人には、親が教師だったり、自分が学生時代の時に出会った先生が好きだった、とかはあるあるな理由だと思

    • 「これおすすめだよ!」が言えない。

      私は「人におすすめする」ということができない。 本とかお店とか、よくおすすめしたりおすすめされたりという機会があるが、どうもスムーズにできず、頭の中でぐるぐると考えてしまう。 思いつく限り、その理由を書いていこうと思う。 一つ目。 相手に自分の好きなものを強要しているように感じてしまうから。 相手は私の好きなものを 試してみるのもみないのも、好きになるのもならないのも、 その人自身の自由であるはずなのに。 二つ目。 自分の感性に自信がないから。 おすすめを紹介して、「あい

      • 変えられないものを受け入れるというある種の強さ

        ーやればなんでもできる 学校生活になじむのが得意で、それなりに上手くやってきたものだから、何となくそう思っていた。自分の意思さえあれば、周りは応援してくれると。 でも、人生そういうわけにいかないこともあるのだと気付かせてくれた中2の秋。 学校の自然体験学習で登山に来ていた。 当時、私は摂食障害(拒食)の影響で体力がなかった。 でも、自分ではそんな自覚はなくて、 登山当日の朝、青少年の家で食べた朝食ではご飯をおかわりして、 「たくさん食べて山登るぞ〜!」と気合い十分だった

        • 摂食障害だった私にくれた恩師の言葉

          「自分は食べることが好きだ」という気付きを他人からもらった時の話。 ↓自分自身から気付きを得た時の話はこちら。 もう6年ほど前のこと。 地元の中学の同窓会に出席していた。 各々が久しぶりに会う旧友や教師らと懐かしい話に花を咲かせていた。 私も当時の学年主任に挨拶に行った。  自分の名前と感謝の言葉を伝えると、 「お前はな〜、本当は食べる事が好きなんだよな」と言われた。 私は中学生の頃に摂食障害(当時は拒食)を発症し、学校生活も思うように送れない時期があった。 当時、学

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        教員を目指し、諦めた理由。

          やっぱり私は「食」が好きー摂食障害と生きる

          ーやっぱり私は食べること、「食」が好きだー そう思わせてくれるお店に出会えた。 私は14歳の頃から摂食障害を抱えている。 現在は、日常生活には支障がないくらいに症状は落ち着いており「寛解」状態とも言えるが、やはりまだ病気特有の思考や行動の癖が抜けずにいる。 その症状のひとつが、「食べること」をずっと考えてしまうことだ。 本当にその時自分が食べたい物を食べられないと、満たされない感覚になっって(過食)スイッチが入ってしまう。 だから、朝ごはんを食べたら今度は昼ごはんは何を食

          やっぱり私は「食」が好きー摂食障害と生きる

          「空気を読める」とカースト上位になれる社会

          「多様性」とか「個々の尊重」とか色々言われる時代になってきたけれど、 結局はその場に応じて「空気を読める」人が一集団のカースト上位になっていくの、あれはなに?ちょっと場の空気が止まるような話をする人に対して、距離をとってしまうあれはなに? 私が考える「空気を読める」とは、一人ひとり性格が違う人たちに対して、それぞれの状況に合わせて振る舞い方を変え、イレギュラーな状況になった時もそれを察して言動を工夫する。そういう人。 「一集団のカースト上位」とは?単に会社で出世して社長に

          「空気を読める」とカースト上位になれる社会

          親を嫌うことに理由は必要か

          親を嫌いであることに何か特別な理由が必要なのだろうか。 特別な理由がないと親を嫌いになってはいけないのだろうか。 特別な理由とは、虐待(身体的、精神的いずれも)、ネグレクト、親がアルコール依存症だったり、前科があったり。 少し前には、「毒親」「アダルトチルドレン」というのが流行った。 私も親が嫌いな一人の人間であり、このような感情を持ったのには必ず理由があるのだと思っていた。 ある時は親の粗探しをして責めて、 ある時は自分の至らないところを責めて、 親か自分かどちらか、ま

          親を嫌うことに理由は必要か

          伝えないと伝わらない、という当たり前な話。

          今日は、やりたいこととかを言葉にして人に伝えるとそれが叶いやすい環境に自然となっていくよね、という話。 大学生の時、100人超えのサークルに入っていて、 その中で活動するグループを作るために自分から誘ったり、人気のある人は誘われたりして活動拠点ができていくのだけれど、 自分から誘うのが苦手な私にとってはそれがかなり苦痛で、なかなかサークルに馴染めなかった。 でも、ひとつだけ自分発端でグループを作れたことがあって、 そのことを当時通っていたカウンセリングの人に話したらすごく

          伝えないと伝わらない、という当たり前な話。

          だから依存するしかなかった。

          人は、今すぐに手っ取り早く自分を満たしてくれるものに依存するのだと思う。 負荷となっている出来事・悩みがあり、それを解消したい。 しかし、解消するにはとてつもない労力がかかり、そんな労力などない。 もしくは、解消する方法・術が分からない。 そんな時、心なのか身体なのか脳なのか分からないが、満たされない空白を感じる。 その空白を埋めるのに適しているのは、元となった悩み事とは反対の性質を持つもの。すなわち、解消に労力が要らないもの。 「空白を埋めたい」という願望を手っ取り早く

          だから依存するしかなかった。

          6ヶ月間の同棲で消えなかった思い。

          以前に、こんな記事を書いた。 ↓ 同棲して2ヶ月で、早くも限界が迫っていた私だったが、 何度か話し合いを重ねた末、同棲して6ヶ月で別居することになった。 その間ずっと消えなかった思いは、 やはり「自分の人生を生きられないと感じる」ということ。 お互いに一人の時間を作ったりすればいいのではないかという意見もあるだろうし、実際にパートナーからもその提案をされた。 しかし、それは自分の「時間」が確保されるだけであって、 自分の「人生」とはまた異なる。 同棲・結婚するという

          6ヶ月間の同棲で消えなかった思い。

          一緒にしないで、私は私だから。

          最近、自分の「怒りポイント」と言うべきか、 「許せないポイント」に気付いて言語化できそうな気がしたので、 忘れないうちに残しておこうと思う。 それは 自分が「他の多数と同じ」だと相手から言われた/ そう思われていると感じた時。 自分で自分のことをそう思うのは、自己否定癖みたいなのもあって慣れているから何とも思わないのだけど、 相手から思われると、急に「私はそんな没個性な人間じゃない!」と怒りが湧いてくる。 この「許せないポイント」に気付いたエピソードが2つある。 1つ

          一緒にしないで、私は私だから。

          普通の妹だったらよかったのに。

          こちらの記事の続きです。 ↓ 兄の結婚を聞いた私は、率直に「おめでとう」と返信した。 そうしたら、次に返ってきたのは「結婚式に招待します」だった。 私は迷った。 一番最初に出てきた思いは、私たちの両親ももちろん参加するだろうということ。私と両親は、物理的にも心理的にも距離を置いた形をとっているため、必然的に顔を合わせることになることに対して、憂鬱な感情はもちろん湧き起こった。 でも、主役は兄であり、両親ではない。 兄(とそのお相手の方)に直接会って「おめでとう」と伝

          普通の妹だったらよかったのに。

          7年会っていない兄が結婚したと聞いた時。

          とある私の誕生日の日の夜。 兄からSMS(ショートメール)で連絡が来ていた。 兄とは電話番号しかやりとりしていないので、何か連絡を取るとなったらこの手段しかない。 「誕生日おめでとう」 2年に1回くらいは私の誕生日に連絡をくれていた。 内心「ありがとう」と呟きながら、返信はしなくてもいいやと思っていた。 「あと今月結婚しました」 寝る準備を終えて布団に横になっていた私はそのまま固まった。 その後、一番最初に湧き起こった感情は 「おめでとう」だった。 ちょうど著名人

          7年会っていない兄が結婚したと聞いた時。

          気付かぬうちに「快感」に甘えていた。

          またnoteから離れてしまっていた。 どれをやっても途中で飽きて中途半端になってしまう自分の性格が嫌になってきた。 完璧を求めるあまり、何かが自分の思うようにいかないと「もういいや」となってしまう。 この間、有料ブログとかも試してみたけど、やっぱりnoteのデザインが好きで戻ってきてしまう。 当面の目標というか、再びnoteを始める目的を次のように定める。 ・「継続」することで「継続」できない自分の自己肯定感を上げる。 「〇〇ができない」自分が嫌なのではなく、もういっ

          気付かぬうちに「快感」に甘えていた。

          同棲はある種の諦め。

          パートナーと一緒に暮らし始めて2ヶ月。 お互いに一人暮らしだった期間が長かったからか、各々のこだわりがぶつかることがよくある。 一人暮らしの時に描いていた「こういう生活をしたい」という願望は打ち砕かれ、 「もう自分の人生は生きられないんだ」という諦めの気持ちが日に日に強くなっていく。 今は、相手を好きだという気持ちはなく、シェアハウスの同居人みたいな感覚。たまに顔を合わせて一緒にご飯を食べて、事務的な連絡を取り合うのみ。 実家にいた時のような居心地の悪さを感じると涙が

          同棲はある種の諦め。

          「ちょうどいい」がわからない

          「0-100(ゼロヒャク)思考」。 「白黒思考」「二極思考」ともいわれる。 巷では、よくないもの、治すべきものとして扱われているが、 私としては「0-100思考」で行動したほうが脳が疲れなくて、しかもパズルのピースがはまるような感覚になれるから、やめられない。 「0-100思考」ではなく中間点で踏みとどまることはとても頭を使うため体力を奪われる。しかしその一方で、中間思考ができた時は達成感に満ちて、自己肯定感がとても高まる感覚になる。 以下、具体例。 ↓↓ ○親とは異

          「ちょうどいい」がわからない