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仕方なく学ぼう、仕事術

「仕事術」「仕事論」のような本や文章が嫌いである。
頭の中では、偉そうに自分流のそれを四六時中考えているくせに。

きっと、自分の歩いてきた道や、若いころに憧れたものを否定されそうで嫌なのだと思う。そして、それをしている時間があったら、小説を読んだり音楽を聴いたり、好きな番組や動画を観たり、キャンプに行ったりしたい。


「わたし無理です。野口先生みたいにああやって(学年の子どもたちに)話せません」
大変だった宿泊学習を乗り切った日の退勤前、教職六年目の先生が言った。

教えるべきことを明確に持って、それをちゃんと子どもたちに伝える。
そうして、子どもたちを引っ張っていく。
学年主任ってそうしないといけないんですね。
それができる自信がありません、難しいです。

それまでの話の流れから、彼女はたぶんそんな趣旨のことを言いたかったのだと思う。

僕も少しはそれができるようになったか。
そんな風に後輩から見られるようになったか。
そう喜びを噛みしめた。

大丈夫、経験を積めば子どもたちに指導することも何となく前もって分かるようになるよ。そうすれば自然にできるようになる。

いい気分でそんなことを言おうとした。しかしはっとして言うのをやめた。

彼女は来年、再来年からの不安を語っているのだ。近頃は、経験を積む間もなく立場はやってくる。僕の言おうとした言葉は、彼女にとって気休めにもならない。

言うのをやめた理由はもう一つあった。
僕は、この「先生が引っ張っていく」スタイルに限界を感じていた。やればやっただけの成果が出るようになったが、何しろ疲れてしまうのだ。

常に保護者に何か言われないか気にしながら、細かい配慮に気を遣いながら日々仕事をしており、それはストレス以外の何物でもない。ここ数年は、そうやって身を削って頑張っていい結果が出ても、それがやりがいにつながらないのをひしひしと感じている。

僕が意気揚々と語ろうとした教師像は、多分これからの時代に合っていない。そう思ったのだ。

「子どもたちが、自分たちでいいクラス作りをしていける雰囲気をつくることが大切なんです」
ある時研修会で聞いた、心理士の先生の言葉である。

「先生が引っ張っていく教育は平成までで終わりです。今の世の中、多いじゃないですか。子どもたちのために頑張ってしたことが分かってもらえず批判されちゃうことが。それでは先生がつかれてしまう。最初は大変なんですけど、子どもたちで考えて決めて、自分たちで間違いを正していけるようにする。そういう意味で教師の労力を減らしながらも、教育の質は確保する。ずるい教育、っていうか」
その先生は、そんなことを言っていた。

細かいことをあれこれ考えると、そうできるようになるまでに幾つもの大変なことがあるだろう。最終的に子どもたちの人間関係がうまくつくられたとしても、そこに至るまでには幾多のトラブルがあり、保護者対応をいくつも乗り越えなければならないだろう。これは簡単なことではない。

しかし、目指すものとしては大いに納得できた。こういう方向性でスキルアップ(これも嫌いな言葉)していかないと、持続可能な仕事はできない。何より、平日が楽しくない。きっと若い先生が知りたいのもこういうやり方なのだろう。

そう色々思い出したり考えたりした結果、
少しは嫌いなビジネス書や教育書を読んだりして、新しい仕事術や価値観を勉強していった方が自分のためだな、と思った。

そして、おもむろにスマートフォンを手に取り、ずっと行きたかったキャンプ場を予約した。

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