先生を辞めたい〜人生のギフトを探す旅・16

涙には色がある。


私の経験してきた中で
感じていることだが、


涙には無色透明のものがある。


それとは別に


しっかりと
感情の乗った色のついた涙もある。


今日は、色のついた涙が溢れ出し
もうこんな働き方は嫌だ!
と決意した時のことを思い出そう。



当時、私は職場で
10年目の研修を受けながら
初めての5年生主任をしていた。


当時の5年生はけっこう荒れていて
小学校2年生の時から
たびたび学級崩壊を起こしていたような
そんな学年だった。


そんな学年の主任をすること
はじめての学年をもつこと
私の肩には
知らず知らずのうちに
力が入っていた。


なんとかしたい

このむずかしい学年をまとめたい

なんとかこの子たちでも
いいクラスにしたい


と、意気込みすぎていたんだな。


今ならよくわかるんだけど

その意気込みは
相手のことを無視して


自分が自分の人生だけでなく

相手の人生までコントロールしようと
勘違いしていた自分が


その学年のことどもたちを
心から信じられていなかった
弱い自分が


はじめから



むずかしいという前提で
学級崩壊を起こしてきた子たちという前提で


そう、無意識にレッテルを貼って
学級経営に取り組んでしまって

自分が大変さを引き寄せていた

そんな恥ずかしい過去のお話。



自分らしくもない
「先生」という役割を演じてしまって
失敗してしまった話。



今ならわかるんだ。

全然、
子供たちを理解しようとしていなかったこと。

子どもたちのありのままを
認めようとしていなかったこと。

子どもたちの力を信じきれなかったこと。



当時の私は

心の学びもしたことがなく

無知だったから



外側で起こっている出来事に
反応するばかりで



一番大切なことが
わかっていなかったんだ。



こどもたちの心も
自分の心も
家族の心さえ見失っていたあの頃。



今から9年前のこと。



いつものように
慌てて家に帰った私は



夫が「窯たき」で
家に帰ってこない日だったので


(陶芸家の夫は窯をたく日は、一晩中
火の番があるので帰ってきません)


その分、家のことはぜんぶ
自分一人でやらなければならなかった。


まだ小学校1年生の息子を
学童へ迎えにいき、


下のを保育園へ迎えにいき、


買い物をして、
夕飯を作って
お風呂に入れて・・・


やることはたくさんあった。



キッチンであわてて
夕飯の支度をしている時に



学校から電話が鳴った。


嫌な予感がした。


電話を取ると
教務主任の声がした。


「今日、提出のレポートがあるみたいだけど
書いてる?」


目の前が真っ青になる。


え??


えええええ〜???


提出のレポートがあったことさえ
知らない。



その時の私は、
学校訪問に向けての指導案づくりや
運動会と5年生のキャンプの準備などが重なって


毎日、毎日、残業しても
まだまだやることが残っているような状態で


朝は、我が子が起きる前に家を出て
夜は0時を超える日もあるくらいの
オーバーワークをしていた。


そんな中



教員10年目の研修なんて
自分の中で、優先順位が最も低くて
最もどうでもいいと思っていた現実を


目の目に突き出された。


書類に目を通すことさえできていなかった。



「知りませんでした。すみません。」


そう言った私に


「とにかく今から戻ってきて書いて。」


と冷たい一言が返ってきた。



「え?今からですか?

「そう、今から。」


リビングに目をうつすと、
子ども2人がお腹を空かせて待っている。


時計の針は7時を余裕ですぎていた。


「わかりました。」


そう言って電話を切ると、
料理の火を消し、



子どもたちに説明した。


「ママ、今から急にお仕事に行かなくちゃいけなくなったの。
忘れていたお仕事があってね。
準備して。
今から一緒に学校に行くよ。」


コンビニでおにぎりを買って
車で学校へ向かった。


真っ暗な道。

家についた途端に呼び戻される現実。


たしかに私が悪い。


でも、研究レポートが


目の前のお腹を空かせた我が子たちよりも
優先されるものだとは、到底思えない。



そんなに大事なものとは思えない。



「フツー」の感覚の乏しい自分は
自分が提出物を忘れ、
提出期限を守っていないにも関わらず


「フツー」にそう思った。


子ども達の方がずっと大事だった。


なのに・・・

一旦、家に帰った自分が
幼い子どもたちを巻き込んで


仕事をしに帰らねばならないこの現実。


こんな
働き方なんて・・・


そんな複雑な気持ちで
学校へ戻った。


夜の暗い学校の駐車場に
子ども達を2人残して


「ごめんね。すぐ戻るから。
2人で待っててね。携帯でテレビ見てていいからね。
何かあったら、学校に電話してね。」


そう言って、車中に子どもを残すこと

【 これって虐待ではないか? 】


静かに自分自身に怒りが湧く。



職員室に戻ると

提出書類を忘れた私に
教頭と教務が冷たい視線をむけ、


教頭がひとこと言った。


「今日中に書いて出して帰ってください。」


「子どもを連れてきています。
明日の朝ではダメでしょうか?」


「今日、提出なんだから、それは無理でしょう?
あなたが書き終えたら、私が今から
提出しに行きます。誠意を見せないと。」



でも、すでに提出期限は守れていない・・・

子どもを寝かせた後ではいけないのか


そんな言い訳や反抗心が
心の中で渦巻く


席について、一度閉じたパソコンを
また開ける時に


涙が溢れた。


悲しいのでも
悔しいのでもない


ただ、ただ

自分自身に対する不甲斐なさで
涙が止まらない。


完全にキャパオーバーなんだ、私。


そう自覚した。
改めて「気付いた」と言ってもいい。



泣いていることを
気づかれたくないので


涙を拭う素振りもできない。


瞬きもしないで
パソコンを睨みつけた。



幸い、職員室の一番はじに
私の席はあったので


頬を伝う涙をそのままにして
パソコンに向かった。


悲しいよりも

悔しいよりも

今の自分の働き方の中で


育児に

家事に

仕事に・・・



完全に自分の
キャパシティを越えている
圧倒的な無力感。


子ども達を心配しながら
車に放置している罪悪感。


こんな働き方が幸せなわけがない。


こんな働き方でいいわけがない。



涙が止まらないので
顔を洗うためにトイレに立った。


職員トイレに映った自分の
ひどい顔を見て


涙がさらに溢れた。


【 こんな風に働くために教員になったわけじゃない 】


【 今の働き方は全然しあわせじゃない 】


【 もう、仕事を辞めよう 】



やんちゃな5年生に手を焼いていて
はじめての主任で仕事が溜まり
研修のレポートまで忘れて・・・




それまであった教職に対する志も
自信もやる気も一気になくなって


はじめて先生を辞めたいと思った。


ずっと楽しくて
やりがいを持って勤めてきた仕事を


はじめて辞めようと決心した。





そこから私の人生は


今まで当たり前だと思っていた世界を
見直すフェーズに入っていった。


学校以外のたくさんの人に出会うことになる。


それまで固定されていた
先生という枠が
大きく動き出す瞬間でもあった。


この出来事を境に
心のことや精神世界にも学びが拡がっていった。



だからこそ
今の私がいるんだけれど


当時の私は
本当につらくてつらくて
人生のどん底を味わっていた。


ようやくこうして振り返って
語れるくらいまで
心が回復してきたけれど


つい2、3年前までは、
当時のことを思い出すだけで


涙が出て止まらなかったな。


でも、ここにも
人生のギフトは詰まっていた。


この日、この瞬間の
マイナスのエネルギーがなければ、


動き出すこともなかった自分。


もし、この時、上司に優しくされていたら
きっと、自分を正当化したまま
課題から逃げていただろう。


できない言い訳を並べて
できないことを正当化して


自分の中にある
本当の気持ちや


心の声を聞けなかっただろう。


子どもたちに申し訳ない気持ちを
いっぱい感じた裏には

たしかに

子どもたちへの愛があった。


いろんなギフトをもらっていたのに
その時の自分では


なかなか気づけなかったんだ・・・。

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