【自己紹介】
迷えるリーダーの為の具現化コーチ
【広岡やよい】です。
富山県出身、現在大阪府在住です。
まずは自己紹介というか、こじらせ過去の振り返りです。
物心ついた時から違和感満載幼児
わたしの最初の違和感記憶は保育園です。
あの意味の感じない時間・・・
お遊戯もお昼寝も給食もその他自由時間全てが
不満でした。
全員で同じ時間に同じことをする・・・
お遊戯・・・楽しくない
お昼寝・・・眠くない
給食・・・まずい
何の喜びもありませんでした。
何でそこに通わなくてはいけないのか?と
思っていてセキュリティーがない時代ですので
何度も脱走逃走していました。
脱走後はこっそり自宅に帰っていたので
すぐに見つかりました。
時間まで滞在するよう親や祖父母に
きつく言われ、しかも集団下校!!
仕方なく時間を過ごし班ごとに
帰宅していました。
そのころ考えていたのは
「早くお空に帰りたい・・・」
なぜここにいるのか疑問を親に尋ねても
「ほかに行くところないでしょ」の一言
「帰りたい」ばかり言っている幼児でしたので
そのころから親の監視のような否定的な発言が
多くなったように感じます。
それから20年近くずっと
「今の人生に未練はない」
と言うようなことをいつも考え
抜け殻のように生きていました。
学生時代もおひとりさま
とにかく同じ時間に大勢で同じことをするのが
不満でしたので、わたしは不良的な感じでは
ありませんでしたが、先生が気をもむ存在でした。
なぜが定期的に職員室に呼ばれお説教。
覇気がない的な内容だったと思います。
集団行動がストレスでしたのでどうすることも
できず「はい」と言ってその場を納めて
いました。
友人関係もグループに属していた訳では
ないので何か班決めのときは空いている
班に入れてもらい、遠足のバスも空いている
所に座って寝ている。
登下校もひとり。
それが嫌ではなく一番ストレスのない
学校での過ごし方でした。
専業主婦となる
地元の短大を卒業後、メーカーに勤務しました。
ここまでくると自由度も増えストレスも軽減されました。
そして結婚出産。
育児休暇を取得後復職しましたが、
夫の転勤で専業主婦となりました。
夫が仕事中心で家事育児に参加する
余裕がなかったためひとりで家事育児を
こなす毎日。
最初は働いている時を懐かしく振り返っていましたが
目の前の生活に追われそんなことも考えている暇はなくなり、
自分ファーストの娘たちの要望に応え慌ただしく過ごしていました。
幼稚園では友だち作り。学校へ行けば人間関係+塾や習い事の段取り、
進学問題。次々と課題が浮上して金策と時間の確保に追われていました。
娘=わたしからの卒業
娘に没頭するあまり、思考が娘軸になり、わたしの24時間を彼女たちに12時間ずつ譲渡する感覚で身の回りのお世話を勝手に始めました。
ただ、黒子ですので主導権は娘にあります。定期的に指示がありましたが、そのうちに行動も読めてきたので先回りも出来るようになり、娘のサポートも楽しめるようになっていました。
彼女たちの人生を一緒に楽しんでいたある時、大学生の長女が放った一言
「もう、ママの自由に生きていいよ」
「大丈夫だから」
何て言った?一瞬フリーズ。
この親離れ発言により、わたしは自分の人生を否応なしに振り返ることとなりました。娘の人生に没頭しすぎた。やりたいことがない!結論でした。
自分を振り返る
常にわたしがどうしたいかではなく、娘がどうしたいか。もちろん、育児は子ども優先の場合が多々ありますが、わたしの場合はそこにわたしの思考、未来が存在していませんでした。
全てにおいて彼女だったらどうするか。が判断基準でしたのでスイーツ選びさえも娘の嗜好しか存在していません。
さて、長女の発言により、まず12時間を取り戻しましたが、どう過ごせばいいか分かりません。考えがまとまらないまま、まず原点に戻るべく就職しました。40代半ばでした。…つづく