OMO的鑑賞と睡蓮/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?
【⑤】
オフラインでの体験をきっかけにオンラインで調べ、関心から愛好、購入、ファン化へとつながっていくプロセスは、オムニチャネルだのOMO(Online Merges with Offline)だのという名前で、近年重視されるマーケティング手法にも通じる。
その点で、草間彌生などごく限られた超有名作家以外は一般に知られているとは言い難い現代アーティストにかけては、「これは何だろう?作った人はどんな人だろう?」とハテナがたくさん浮かぶ現代アート展覧会は、その時点の集客ではモネやフェルメールに叶わなくても、将来の伸びしろが大いに期待できる一種の認知獲得キャンペーンと言えるかもしれない。
子連れバタバタ鑑賞となった国立西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」でも、駆け回る子どもを追うのがメインと化してしまった視界の端に映った作品がなんだか心にひっかかって、後でネットで調べたケースが何点かあった。
その一つは、竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》(2024)。「ここは作品たちが生きる場か?」という比較的分かりやすい示唆を含んだ章タイトルと、ルーブル美術館で破損した状態で見つかり西洋美術館に収蔵されたことが大きくニュースにもなったモネの「睡蓮、柳の反映」という取り合わせのインパクトの大きさが、惹きつけるフックになった。
周知のように、欠損した部分は敢えて復元されなかった。まるでミロのビーナス。無い部分が心の揺らぎと想像力をかきたて、あれこれの研究や推測が無限の価値を生む。
竹村はNTT ArtTechnologyの協力を得て、デジタル復元画像に基づく刺繍を制作、「睡蓮」の欠損部分に重ねた。
まず刺繍という手仕事の圧倒的な尊さがある。長命だったモネは1916年時点で76歳。既に視力は低下していただろう。ぼやける視界で必死に睡蓮の池に浮かぶ光を捕らえ、震える手で描き写したのだろう。「時間」や「修復」をテーマに刺繍を表現ツールとしてきた竹村の視界と指先は、失われたモネのタッチとどう同期したのか。モネの一筆一筆、竹村の一針一針が、チクタクチクタクと時を刻む想像上の音と重なって、立ち上がってくるようだ。
ただ竹村の刺繍作品は、いかにも脆く、はかなげだ。中世の織物のように隙間なく縫い目が敷き詰められているのでなく、ゆるゆると間隙を残して糸が垂れている。この作品はそう長持ちしないのではないか。むしろ役割を終えたら人知れずほどかれ、無に帰るのではないか。綿あめがとけるように。そのとき、彼女が「修復」によって取り戻させた睡蓮の「時間」は、霧散するのか。「保存」は美術館の役割の一つのはずだが、本展のために制作されたこの刺繍の行く末は、どこに向かうのだろう。
OMO的鑑賞法(と名付けてみた)で気になったもう1人の作家は辰野登恵子。女性で、既に亡くなっているということも印象的だったのは否めない。そして、竹村と同様に、モネと並べられていたことも。でも、それだけではない磁場が、彼女の抽象画からは発生していた。
第7章「未知なる布置をもとめて」。時代も文脈も異なる作品からある共通項を抽出して並べてみる。知っているはずの作品が未知なる布置(縁)によって「不知」になる。
この試みのパーソナル版は、実はやったことがある人が結構いるのではないか。展覧会で買い集めた絵葉書を、100均とかで調達したフレームに数枚入れて、自前のキュレーションで自宅美術館を楽しむ。印象派と日本美術はやっぱり相性がよかったりする。共通のテーマやモチーフで古典絵画と前衛絵画を並べてもいい。私も最近はすっかり、絵葉書を貯める一方になってしまっているが、時間の余裕を取り戻したら、じっくり堪能したい娯楽である。
西洋美術館の展示となれば、娯楽とは違うコンテクストと学術的価値が求められるのだろう。その深みは残念ながら理解できなかったが、普段ならありえないだろう取り合わせの妙が、純粋に楽しい章ではあった。会場もそれまでのように迷宮然としておらず、オーソドックスな大広間になっていて、その旧態依然とした感じになんだかホッとした。
辰野登恵子《WORK 89-P-13》1989年 、油 彩 /カンヴァス、千葉市美術館
この大型作品を初めて見たとき、よく知られたクリムトの「接吻」を連想した。長方形のグリッドの反復。金に近い黄色。生命を内包したような楕円。実際に横に並べられていたのは、さきほどの竹村と同じく、2016年制作のモネ「睡蓮」の別パターンだった。見出されている共通項は間違いなく、青だろう。深い海の底、人間の心の深淵、ブラックホールを覗いたような群青。
分かる気がするけれど、なぜこの2作を並べたのだろう。もっと言えば、なぜほかの出展者は存命の現代アーティストなのに、2014年に惜しまれながら世を去った辰野を採用したのか?
アートの価値は不変ではない。まして現代アートなら、少なくとも市場的価値は作家の将来性への期待値と連動しているし、物故者の作品であればまた別のアルゴリズムが働くのだろう。辰野をほかの存命の作家と並べて出展することはフェアだったのだろうか。そのあたりの説明が、会場のどこかにあったかもしれないし、なかったかもしれない。
そして何より、冥界の辰野は、この対置をどう見ただろうか。辰野に限らず、この章に出展したほかのアーティストたちも、それぞれの古典絵画との対比をどう発案したり、受け入れたり、感じたりしたのだろう。
疑問符がしきりと浮かんだけれど、辰野登恵子という作家を知らなかった私は、少なくともここで彼女に触れられてよかった。まぎれもなく、昭和という時代を代表した抽象画家だったろう。その作品群と生涯に、吸い込まれそうに興味を掻き立てられた。
まさか最初は、後悔と失望ばかりが先に立ったドタバタ子連れ鑑賞記が、ここまで回を重ねるとは思いもしなかった。思いがけず「スキ」をくださった方々に勇気をもらえたのは間違いない。心から感謝申し上げる。
最終回のつもりだったけれど、もう一つおまけの⑥に続きたい。何も得られないと思った鑑賞で、持ち帰った戦利品の話。