サヴォさんとテロワール【コドモハカセと記者の旅】
▼登場人物
コドモ:4歳長女と1歳次女。
ハカセ:建築史家。合理主義者。
私:記者。転職するか迷っている。
▼これまで
昨年9月、家族4人のフランス旅行。子連れの苦労ばかりがよみがえる「悪夢」のような旅も、この記録を書いて、嬉しいことに「スキ」も頂けたことで、だいぶ解像度が上がり、ポジティブに捉えられるようになりました。そろそろ着陸態勢に入ります。アヴィニョンやリヨン、ヴェルサイユを巡り、残るは世界遺産の住宅建築の鑑賞へ。
▼前回の記事
<18>
ワインの世界では独特の風味を生み出す土地固有の環境を「テロワール」と呼ぶ、らしい。グローバル化とデジタル化が進み、世界中の情報や文物に簡単にアクセスできるようになった今、「不動産」である建築や空間は(それすらデータ上で再現できるとはいえ)ちょっと意味を転じたテロワールと言えるかもしれない。
だけど、建築って面白い…かな?
「建築が好き」という人以外には、とっつきにくいという本音は案外、多いのではないか。私は寺社や文化財が大好きだが、ハカセに建築の構造的な話をされても「ふーん」「ふむむ」としかならないことが多い。
もちろん情景の美しさや歴史的意義、その建物を創り守り伝えてきた先人たちの情熱や努力には、大変に心を動かされる。優れた建築は可能な限り、保存されるべきだと思う。
けれど物体としての建築は、ストーリーがないとなかなか、魅力を感じ取るのが私には難しい。ヴェルサイユ宮殿ですら「ベルばら」がなかったら「よくこんなデカい建物をつくったねえ」「こんなゴテゴテした所で暮らしたくない」とかの感想で終わりそうだ。
ましてそれが近現代建築となると、さらに凄さが分かりにくい。だってその辺にある建物と、見た目はそんなに違わないのだから。
ヴェルサイユの翌日に訪れた住宅は、まさにそんな場所だった。ル・コルビジェが手がけたモダニズム建築の代表格、サヴォワ邸である。
パリ郊外ポワシー駅に降り立った土曜日の朝。清掃ボランティアの人々が集まる駅前から路線バスに乗り、坂道を登っていく。乗客や道行く人にアフリカ系が多い気がする中で、同じバスに居合わせた日本人の若い男女。建築ファンかな。
Villa Savoyeで下車。木が鬱蒼と茂る敷地の入り口に受付のテントがあって、たまたま、この日は無料で入れた。小道を抜けると視界が開けてそれが現れる。
保険仲介会社を経営するサヴォワ夫妻の依頼で1929年から31年にかけて建設された別荘。素直に建物を見ると、これまでの古代ローマやヴェルサイユの建造物のようにどっしり大地に根を(壁を)下ろして「建っている」のではなく、細長い脚でひょろりと「立っている」。水上を歩くアメンボのような繊細さで。
実際は1階部分の、濃い緑色の壁が建物を支えているのだが、背景の森に同化して存在感を消している。
2階の壁は構造的に、建物を支える必要がない。だから伝統的な縦長でなく、横長の「水平連続窓」が実現していて、2階が宙に浮いているように見える。
コルビジェが示した「新しい建築の五原則」、すなわち1階のピロティ、自由な平面、自由なファサード(立面)、横長の窓、屋上庭園の設置―の具現化。壁の制約から構造的に解き放たれたことは、さまざまな意味で伝統的な西洋建築からの解放を意味し、現代建築の画期になったという。
90年前の人には未来的に見えただろう。ただ、実は日本の伝統的住宅のあり方と近いため、「その革新性を実感できないかもしれません」と、中島智章氏の「西洋の名建築がわかる 七つの鑑賞術」(エクスナレッジ)にあるように、少なくとも日本人的には、それほど奇異に感じない。
真価は建物内で発揮されている。綺麗に整備された芝生から中に入ると、明るいエントランスホール、中央のスロープ、らせん階段が目につく。らせん階段はメインの構造物に見えるが、実は使用人専用で、伝統的な西洋建築では隠れた場所にあったのを、コルビジェが「鉄筋コンクリートの彫刻」として前面に出したのだ。
家主用と使用人用の勝手口があり、パンフレットによると「ブルジョワ邸宅のコードに準拠して」いる。1階には洗面台や暖房が備わった使用人の寝室、浴室やリビングもある運転手の住居も併設されていて、彼らのためのらせん階段が目立つ場所にある点から考えても、従業員を尊重するという現代感覚を反映した住宅設計と言えそうだ。
そして何より驚かされるのが、これだけ多くの機能や施設が内部にひしめいているというのに、極めてシンプルに見えること。まるでマジックだ。
スロープは、やはり華がある。家主や招待客はこれをたどって上階に向かい、視点の変化による散策を楽しむのだ。今ではスロープはバリアフリー的な意味合いが強い印象だが、もともと、建築固有の体験ができる装置なのだ。その意味では、スロープを見るやなぜかはしゃいで走り出すコドモの感覚は(危ないからやめてほしいけれど)、プリミティブなようで本質的なのかもしれない。コルビジェのスロープは、日本でも国立西洋美術館本館で体感できる。
2階はリビングの横長の窓から、木々に囲まれた敷地の情景を絵巻物のように切り取って眺めることができる。内側のテラスに差し込む自然光は、住人と客人だけが堪能できる秘密の宝物。
やはり巧みに隠されたキッチンも、ここに立つ女主人の特権だったのだろうか。庭を望むことができて、外で遊ぶコドモに手を振るのが楽しい。浴室はゲストルームと住人の部屋の両方からアクセスできるのが面白い。カーテンが無いのは昔からか。開放的な分、プライバシーが気になるが、庭の木々が外部の視線から守ってくれている。クローズドでありながら自由。シンプルでありながら機能性に満ちている。こういうのを「モダン」というのか。建築の良さが分からないと思っていたが、その内実に触れると、じわじわと沁みいってきた。
「屋上庭園」は2階のテラスから吹き抜けになっていて、大半の部屋を照らす巨大な天窓にもなっている。独特の半球型の防風壁は「大西洋横断船の煙突」、スロープの安全柵は「船の手すり」を連想させ、その建築様式は「ストリームライン・モダン」を彷彿とさせる、とカタコトの日本語で書かれたパンフレットにあるのだが、ちょっとよく分からない。
「ストリームライン・モダン」とは、アール・デコ様式から派生した海事的要素を取り込んだ様式。確かに、船っぽく見えなくもない。屋上にこれほど豊かな緑が繁っているとは外から予想できないので、客人は「空中庭園」に驚いただろう。サプライズと遊び心が随所に潜んでいる。
幼いコドモは大好物のスロープとらせん階段に大はしゃぎ。制御するのにいつも通り、苦労する。そしてサヴォワ邸が「20年ぶり」というハカセもまた、前日のヴェルサイユ宮殿よりも興奮気味に「これのここがすごいのだ」とマニアぶりを発揮、感動ポイントをぶつぶつ言っている。あらゆる角度から写真を撮りまくる姿は、いつもより好ましい。
気づくと、先ほどバスで居合わせたカップル以外にも日本人客が複数いる。男性の方が建築オタクなケースが多いのか、しきりと「すげえ」と言っている。何事にせよ、素直に感動している人を見るのは楽しいし、ポン・デュ・ガールの時と同じように、親近感がわく。
前日のヴェルサイユで庭園そっちのけで砂利をいじっていた次女は今回も芝生に座り込んで、草をいじる。長女は2階のキッチンから背伸びをして顔や手をのぞかせて、庭にいる私を見る。彼女はこの家を、Eテレ人気キャラクターになぞらえ「サヴォさんの家」と呼ぶ。
サヴォワ邸は第二次世界大戦中は占領され、荒れ果てた状態で放置された。1958年に高校建設のために市が敷地を購入したが、建築的価値が認識され、国が30年以上かけて修復。2016年、コルビジェの他16件の建築物とともに世界遺産に登録された。
フランスに来てから数々の世界遺産を巡ってきたけれど、見てきた古代ローマ遺跡や中世・近世の建築と違い、サヴォワ邸は誕生してまだ100年も経たない建物である。しかも実際に使われた期間など、極めて短い。
にも関わらず、世界遺産として半永久保存されることになったのは、もちろん建築史的意義が大きいからだが、学術的価値だけでなく、ここに住んだり、関わったりした人々の情報をもっと知らせてほしかった。たとえば昔の写真を飾るとか、できないだろうか。
こんな私見を書くのは、あの住宅が好きになったからだ。そこに住んだ人の生活を想像したから。
あの横長の窓を介して、私と長女がしたように手を振り合ったり、小さい子がスロープを駆けまわったり、自然光が降り注ぐリビングで家族がくつろいだりした日もあっただろうか。今は無機質なモデルルームのようだけれど、あの隠れたキッチンや書斎が雑然として、生活感にあふれた瞬間もあったろうか。そんな生々しさを感じたかった。
そんな希望をハカセに話すと、意外と簡単ではないのだと分かった。コンクリート建物は木や石よりも、保存に手間とコストがかかる。100年後まで残っているかも分からない。だからこその世界遺産化でもあるのだろう。今後は劣化や毀損を防ぐために一般公開を控えたり、あるいはデジタルデータでの公開や、より適切に保存できる博物館などに移転したり、という方向に舵を切られる可能性もある。今回、一般向けの無料開放日に来られたのは、凄くラッキーだったのかもしれない。
サヴォワ邸の歴史にとって、個人宅だった時間よりも、文化財として扱われる時間の方がはるかに長い。学術的価値を瞬間冷凍する代わりに、生々しさが失われるのは、仕方のないことだろうか。その家に宿っていた人の熱やストーリー、根差した土地の「テロワール」的なものも、少しでも残していけたらと思った。
帰り道はバスに乗らず、30分ほど駅までの道のりを歩いた。坂を下ると団地があって、周辺にレストランや商店が点在する。日本でも見かけそうな、ごく普通の街並みだが、唐突に、古色蒼然とした巨大な教会が建っていたりするのが、ヨーロッパの街の楽しさだ。サヴォワ邸以前から、この街の歴史は長く紡がれていたのだという、当然のことを思い起こす。今朝、駅前に集まっていたボランティアのような人々が、地域のテロワールを育ててきたのだ。
行きのバスでアフリカ系の人が多いなと思ったが、エキゾチックなレストランも多かった。モロッコ料理店に入り、クスクスを食べた。ヨーロッパ的なハーブとは違う、アフリカ的なスパイスの香る野菜たっぷりの料理に食が進む。ウエイターさんはコドモのために食器や椅子を用意してくれたり、日本語で「アリガトウ」を何というか聞いてきてくれたり、親切で温かかった。
モロッコ料理は東京でも食べられる。けれど旅は、そこでしか出会えない建物や人に巡り合わせてくれる。私たちはワインはたしなまない。けれどその土地だけのテロワールに乾杯したい。
〈19〉に続きます。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
なぜこの旅行記を書いているか、興味を持ってくださった方は、こちらもお読みいただければ幸いです。
https://note.com/vast_godwit854/n/n98fa0fac4589
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