帰ってきたノートルダムと一角獣【コドモハカセと記者の旅】
▼登場人物
コドモ:4歳長女と1歳次女。
ハカセ:建築史家。合理主義者。
私:記者。転職するか迷っている。
▼これまで
昨年9月に敢行した家族4人フランス旅行の記録。アヴィニョンやリヨンなどを経ていよいよ帰国前日。サヴォワ邸のあと、午後はシャンゼリゼ通りへ。永井荷風のパリ描写にのせながら、エッフェル姉さんからノートルダム、トイレまで、散策の徒然をつづります。
▼前回の記事
〈19〉
凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場からシャンゼリゼ大通りを歩いていく。
2023年9月当時、日本ではフランスについて3つのトピックが話題になっていた。
① 2024年のパリ五輪、パラリンピック
② 9-10月開催のラグビーワールドカップ2023
③ エッフェル姉さん
③は、自民党の女性参議院議員が同党女性局地方議員らを連れてフランス視察に行った際、エッフェル塔をバックにポーズをとった写真をSNS公開し炎上したもの。揶揄した呼び名は流行語大賞にノミネートされた。
凱旋門からシャンゼリゼ通りを下っていくと、高級ブランド店が目に入る。自然と「エッフェル姉さん」の話になった。私は「子連れ出張」が批判された点にひっかかっていた。
ワーキングマザーが、子どもがいることで出張を諦めたり、無理を押しても子連れで行かねばならなかったりするのは、ままある。同じ悩みは父親にもあるはずだ。
今回の騒動で、子連れ仕事や出張を巡る分断がますます広がるのではと懸念した。
対してハカセは「問題の本質は大使館職員に便宜を図らせたこと」と指摘した。さまざまな報道を見ると、現地大使館が国会議員の業務に通訳や車などの便宜を図ることはごく普通に行われてきたという。本来、一党が主催する研修に、外務省の組織である大使館が便宜を図るのが適切かどうか。確かに論点の一つだろう。あの報道から一年経つけれどどうなったか、追えていない。
轟々と大地を揺る車輪と馬蹄の響の中には何と云う強さと深さとが含まれているのだろう。車に乗っている男女・・・人種、職業、境遇、年齢の千差万用な人間をば、一様に盲道させる運命の声を聞くようでは無いか。(「ふらんす物語」)
チュイルリー公園の歩道で、抱っこ紐から下ろした次女はやっぱりしゃがみこんだ。小さな手でを目をこしこしする姿に、道行く地元の学生らしい女性グループに「迷子!?」といった風に心配された。すみません・・・。
午後の数時間しか滞在できない中で、いくつかささやかな目的を設定していた。
・シャンゼリゼ通りを家族で楽しく歩くこと
→長女の肩車、栗拾いで達成
・配布用お菓子を買うこと
・マロンクリームを買うこと
・おいしい食事をすること
・再建中のノートルダム大聖堂をちょっと見ること
7年ぶりのノートルダム大聖堂は、橋の上からなんとか面影を探したけれど、人と車に溢れかえって長居はできず、ほとんど見られなかった。
崩落前の姿は一層輝かしい姿で、心に刻まれている。
2019年4月15日夜に発生した火災がニュースで報じられた時、奈良で働く記者だった私は、保育園に送り出す0歳長女を世話する手を止めて、映像に見入った。あの時、国境を超えて多くの人が喪失感を共有していた。ニュースを見て一番心に響いたのは、燃え盛る尖塔を、口を手で覆い涙を流しながら見守る地元の女性の姿だった。
ノートルダムの幻影は、同じ年の10月31日の記憶へとつながっていく。沖縄の首里城の火災。当時の奈良には、戦後の首里城復興プロジェクトに半世紀以上携わってきていた文化財の専門家がいた。ニュースを見るや、私はやはり長女を世話する手を止めて、その人の自宅に電話した。電話の向こうで彼は言葉を無くしていたが、断片を拾って一本の記事にした。新聞記者としての私にできるせめてもの手向けだった。
焼失した首里城正殿は戦後に再建されたもので、文化財としての価値はノートルダムと大きく異なる。再建のあり方は感傷に流されず、財源含めて慎重に考え分けるべきだろう。 ただ2つの建築物は、人々の思い、アイデンティティの集積としての役割を、焼失によってあらためて思い知らせた点でつながっていた。
再建したノートルダム大聖堂は2024年12月に一般公開される予定で、焼失前と同じ姿でよみがえるべく現代技術の粋が集められているという。歳月を重ねたあの独特の色彩はどうするのだろう。雨どいの怪物たちもどす黒い姿で復活するのか。どう転んでも毀誉褒貶がありそうだが、それも劇的な劣化と改変が繰り返されてきたノートルダムの歴史の一部になるのだろう。
夕暮れが迫ってきた。マリー・アントワネットが最晩年を過ごしたコンシェルジュリー、ステンドグラスの美しいサント・シャペルを横目に通り過ぎていく。
スーパーマーケットの「モノプリ」で土産の袋菓子を買い、さんざん棚の間を探し回って、ついにマロンクリームの缶を見つけた。これは「地球の歩き方」にも載っていた逸品で、食いしん坊のハカセが狙っていた。
残るはフランス最後のディナー。観光客であふれ返る前に入店しないと。最後の力を振り絞ってさあ歩くぞ、というところで長女の「おトイレ」が始まった。
すぐにモノプリでトイレの表示を探したが、客用のトイレはないという。まじか…。フランスで無料のトイレを見つけるのは、やはり容易ではなかった。
長女は足をもじもじさせ、一刻の猶予もなさそう。
セーヌ川左岸、カルチェ・ラタンである。喧騒と知性が同居する学生街は、7年前に訪れた時も印象に残った。その記憶を高速で引き戻すと、朽ち果てた建物の中に鮮烈な赤色がよみがえってくる。クリュニー美術館の「貴婦人と一角獣」である。
あそこならトイレがあるはず。長女の手を引いて駆け足で向かうと、廃墟のような庭に受付があったと記憶していたのに、代わりに大きくCLUNYと書いたモダンなエントランスになっている。改装したのか。中ではスタッフが何やら作業している。どう見ても閉館準備だ。やばい。頼みます。入場料は払いますから、小さな子どもにトイレを貸してください!
祈りながら次女と外で待っていると、無事にトイレを済ませてにこにこ顔の長女がハカセとともに戻ってきた。入場料は免除してくれたという。
ありがとうスタッフさん、貴婦人と一角獣!!
トイレで散々苦労してきただけに、親切が身に沁みた。
何処を見返っても、透通る濃い緑の色の層をなして輝き渡るさま、造化の美を奪う人工の巧み。
ああ、これが巴里だと貞吉は思った
(「ふらんす物語」)
後日談がある。
一年後の今年、仕事で単身バリに行ったハカセが、トイレのお礼にクリュニーに行ってきた。トイレの記憶しかない長女、記憶にすらない次女のために連れて帰ってきたのが、ミニユニコーン。いつか彼女たちが本物の貴婦人と一角獣に会える日まで、そばにいてくれるといい。
〈20〉に続きます。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
なぜこの旅行記を書いているか、興味を持ってくださった方は、こちらもお読みいただければ幸いです。
https://note.com/vast_godwit854/n/n98fa0fac4589
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