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【コドモハカセと記者の旅】クールな聖母とシャワー

【登場人物】
コドモ:長女4歳、次女1歳。
ハカセ:40代の建築史家。合理主義者。
私:30代の報道記者。転職しようか悩んでいる。

【これまでのこと】
昨年9月、家族4人でフランスを旅した時の記録(記憶)。最初の目的地アヴィニョンでは、教皇庁宮殿で悲鳴を響かせるコドモにストレスが爆発。自己嫌悪と相まってどろどろした気持ちをくすぶらせながら、プチ・パレ美術館に向かう。



私はもしそれがボッティチェリと知らなかったら、果たして立ち止まったかどうか自信がない。明らかにほかの絵とは違う距離感をもって展示されている「聖母子」は、それがルネサンスの巨匠の作品であることを事前にガイドブックで読んでしまっていたから、一歩近づくごとに目が先入観の塊になってしまって、フラットな接し方が難しかった。


プチ・パレ美術館より

初期作品である。クールな表情の聖母は何を考えているか分からない感じが、後年の大作「春(プリマヴェーラ)」や「ヴィーナスの誕生」に描かれたヒロインと重なる。慈愛あふれるというよりは、淡々と仕事(授乳)をこなす感じにどこか共感した。生涯のほとんどをフィレンツェで過ごしたボッティチェリだが、この絵はなぜ、アヴィニョンに来たのだろう。絵の前に一瞬たたずんで、スマホで撮った。あとで振り返ってみたかった。

中世の教皇庁時代、イタリアから画家など文化人が流入し、教皇庁宮殿をはじめとするアヴィニョンの街を芸術の都として彩った。教皇庁がローマに帰還した後の15世紀も、教皇の使節が滞在したために絵の注文が途切れることはなく、「アヴィニョン派」が隆盛した。素人目に見ても、ルネサンス絵画のような躍動感や血の通った人間味は乏しいが、南方らしい色彩の鮮やかさと物語性が感じられる絵画が多かったと思う。ボッティチェリはアヴィニョン派ではないが、親和性があるのだろう。邸宅に溶け込むように展示されている雰囲気が好ましかった。荒んだ心を和らげてくれるのは、いつもアートだ。
 
長い初日がようやく、終わろうとしていた。目抜き通りのパン屋で朝食用のバゲット、スーパー「カルフール」でオリーブの酢漬け、チーズ、生ハム、ミニトマト、それに飲み水を買い込み、ホテルに戻ると、ベッドに倒れ込んだ。汚れた体がシーツに沈み込む。コドモのお尻と口回りだけウェットシートで拭いて、あとは翌朝にシャワーを浴びさせればよいと考えた。
 
夜半、目が覚めて、寝息をたてるコドモとハカセを横目に、一人浴室に入った。汗と砂ぼこりにまみれた体を熱い湯がつたい、その日一日のことを回想した。フランスに来てからの違和感。感情の読み取れない聖母像。記憶の水溜まりから上澄みのどろどろした部分が流されていく。でも我が子に抱いた感情と自己嫌悪は沈殿して、拭い取れない。

日本からボトルに入れて持参したシャンプーを手のひらに落とし、香りが鼻をついた瞬間、ブチっと音がした。浴室の電気が消え、続いてシャワーも出なくなった。
 
ハカセを叩き起こし、今起こった出来事を告げる。部屋の外でホテルのスタッフに聞いてもらったところ、どうやら配水管と電気系統のトラブルらしい。復旧には丸一日かかるとのこと。仕方ないね、寝るしかないよと涼しい顔で再び眠りにつくハカセを横目に、裸にタオルを巻いたまま、黙るしかなかった。
 
髪がシャンプーで泡立っている最中でなくてよかった。9月の南仏の夜が、濡れた体でも凍える寒さでなくてよかった。コドモが寝ている時でよかった。考えてみればよかったことだらけだと思うことにして、体をふいて、寝床に入った。数時間後にもう一度目が覚めた時、停電は続いていたが、シャワーだけは水だけど復活して、なんとか体の泥を洗い落とした。やがてコドモも起き出したので、窓明かりを頼りに、冷水シャワーにきゃあきゃあ奇声を上げるのを猛スピードで洗った。海外では珍しいことじゃないよ、日本みたいに電気や水道が当たり前に通っていると思う方が傲慢なんだよ。ハカセが正論を述べた。
 
確かにその通りだろう。大人だけの旅なら、ハプニングも旅の醍醐味と笑って受け止められたかも。でも、でもさ…。

朝の定番になった手作りカスクート


体の奥底から再び湧き上がってくる違和感が、口から溢れそうなのを押し留めた。窓が大きくてよかった。電気がなくても朝日が入り込んで手元を照らす。日本から持参した十徳ナイフで切り込みを入れながら、ポジティブ思考に切り替えようと努めた。バゲットにオリーブとチーズと生ハムをはさみ、がぶりとむしゃぶりついて飲み込んだ。


〈4〉に続きます。
この旅行記をなぜ書いているか、興味を持ってくださった方はこちらをご覧ください。


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