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ブログを10年やって感じたこと
【継続は力なり の解釈】
●氷山の一角
継続は力なり
わずかなことでも続けて行えば成果となってあらわれる
小さなことも続けてやれば成功する
などの意味があることわざです
別におかしいところはないけど自分はこれについて思うことがあります
確かにすごい実績を修めた人や成功した人は継続力のある人たちだと思います
かと言って継続してる人がみんなそうかと言うとそんなことはないです
A=B は成り立つけど
B=A が成り立つわけではないってことです
むしろそういうのは氷山の一角だと思ってます
継続しても結局しょぼいままの人間が99.99…%で残り僅かな人がすごい成功を修める
ってことです
しょぼい人間は認知されないので成功した僅かな人が目立って
継続はすごい 継続こそ大事だ
なんて風潮がうまれるのだと思います
●中身
ただ漠然と続けてても意味がないってことで大事なのは創意工夫です
別に継続を蔑ろにするつもりはなく中身のあることをやってはじめて継続が大事になるってことです
何がダメでどう改善していってまた失敗して…
そういう意味のあることを継続するのが本当は大事で継続さえしてればすごいなんてことはないです
【実感】
↑で書いたことは別にすごい発見でもなく多くの人が何となくは分かってることだと思います
でも自分は頭で分かるそういう理屈よりも経験して感じたことの方が遥かに大事だと思います
経験したことの方が自分の中に刻み込まれた感じがして強く印象に残ります
一方で経験して感じてないことはどうしてもぼんやりとしたものになります
例えば野球は難しいスポーツっていうのは何となく分かります
でも自分は野球をあまりやったことがないので具体的にどういうところが難しいかはピンときてないけど経験者なら身にしみて分かることだと思います
元々自分がしょぼい人間なのは知ってたけど経験してそれを改めてそして強く認識できました
【他人】
けどもしリアルやネット問わず会話の流れで相手が何かを10年続けてるのを知ったら
「おお すごい」
って反応をすると思います
自分が何かを10年続けてても別に何とも思わないけどそれが他人だとすごいと感じるのは不思議です
確かに不思議だけど理屈で言うならそこまで不思議ではないです
10年という上っ面の数字だけで反応してるだけで自分は相手のその10年を知らないです
たぶんどんな10年だったかと聞いていくうちにさらにすごいと感じるか評価が落ちるか反応は変わっていくと思います
でもしょせんは理屈です
自分ではなく相手の場合は何かを10年やってたらもう素直にすごいと思います