難民時代…
2024年 10月27日(日)
今日の景色…
〈気になる記事・後半…〉
「投票したい政治家も、政党もない」と絶望している人たちへ…ひろゆき「ダメな政治家から自分を守る方法」
(記事本文抜粋…)
※本稿は、ひろゆき『日本人でいるリスク』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。
■「国民が政治家を選ぶ」のは当たり前ではなかった
民主主義が根づいた先進諸国では、選挙で国民が政治家を選ぶのが当たり前になっています。しかし、昔はそうではありませんでした。
たとえばヨーロッパでは、長きにわたって大衆は「偉い人に従っていれば幸せだ」というスタンスでおり、その偉い人とは宗教的指導者でした。宗教と政治が分かれたのは、ここ100年くらいのことなのです。
■インターネットの普及で民主主義は劣化した
民主主義の問題点が明らかになっていく過程においては、インターネットの普及は大きな意味を持ちました。民主主義の進んだ国ほど、インターネット産業が早くから興っています。こうした便利な情報網ができることで、民主主義の劣化が早まったと僕は考えています。
昭和の時代の学生運動は、学生同士の噂話や学生新聞などによって情報が広まりました。それには一定の時間が必要だったし、ある種の抑制が利いたわけです。しかし、ネット上で瞬時に多くの人に情報がわたることで、集団化が簡単に起きるようになりました。しかも、そこには深く考えない人がたくさん集まっているから、暴走も簡単に起きてしまいます。
人々がさまざまな情報を手にできることは、たしかに大切なことではありますが、民主主義を劣化させる一因であることは否定できません。
■国民が劣化しているから、政治も劣化する
さらに民主主義が進めば、「みんなで決めた政治家と政党がやることは正しい」というところに行き着きます。その結果、政治が機能しなくなって国が没落していく。僕たちは今、先進国のそうしたリスクを目の当たりにしている気がします。
実際に、日本では、10年以上政権をとり続けている自民党のやりたい放題が続いています。
これは、自民党だけの責任ではありません。民主主義というものに対して、国民一人ひとりの意識が劣化していることこそ大問題なのです。国葬に反対してデモに参加していた人たちは、その多くが便乗して騒ぎたいだけ。騒ぐだけ騒いだらスッキリしておしまいです。これで政権をにぎる政党を動かせるはずがありません。
■白票を投じても意味がない
こうした現実に対抗するため、「白票を投じるという形で意思表示をしよう」という動きがありますが、僕は反対です。
選挙で白票や無効票を投じると、計算上、多数派に投票したのと同じ結果になります。
それどころか、これまで選挙に行かなかった若者が白票を投じれば、「若者が選挙に来てくれても勝った。だから、このまま進もう」と自民党は解釈するはずです。つまり、かえって悪い方向に行ってしまいます。
しかしながら、どれほど嘆いてみても、今の日本の有様は国民の多数派が選んだ結果なのです。これは、誰が首相になっても変わりません。
■「まともな自治体に移住する」という意思表示
そうしたなかでもできる自己防衛策として、まともな首長がいる自治体で暮らすというのはあるでしょう。
都道府県や市町村といった自治体では、知事や市長など首長の権限が強く、独自の政策を立てることが可能です。
自治体発信で、国政に頼らずに日本が少しでもいい国になっていく方法はあると思います。子育て政策に限らず、自治体レベルでどんなことをやっているかを積極的に調べ、どんどん移動していけばいいのです。
ろくでもない地域からは離脱していく。そうした「離脱する権利」を行使することで自らを守り、選挙とは違う形で意思表示することはできると思います。
👉ひろゆき氏が提唱する…
この生きにくい時代社会での自己防衛策というのが…
『まともな自治体に移住する』
ということらしい…。
『まともな首長がいる自治体で暮らす』
という…
自治体発信で、国政に頼らずに日本が少しでもいい国になっていく方法…。
でも泉さんが明石市長を辞められた今…。
他にどこかまともな首長がいる自治体ってどこにあるのでしょうか…。
探すの大変そうですね…
でも…
「離脱する権利」を駆使して…
ろくでもない地域からは離脱していく…。
そんな選挙以外の道を探ることも必要な時代になってしまったのかもしれません…
そんな日本国内における「難民時代」…。
今までの誰もが目指して来た暮らしと幸せにしがみつくのか…
それとも…
新しい価値観による暮らしと幸せか…
ホントにその暮らしも価値観も“2極化”して行くことになるのかもしれせんね…
〈気になる記事・前半…〉はこちらから…
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