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背負った十字架…

2024年 10月9日(水)

今日の景色…

今朝の…
旬彩蔵…
福崎店…
もう終盤に近づいて来ましたが…
いつまで納品を続けられるか…
マコモダケの採れ次第です…
そして…
A-cope…
粟賀店…
徐々にお客さんが付き始めて来たところですが…
そして納品を終え朝食を食べて直ぐにマコモダケ田んぼへ…
今日は9:30から13:00までで…
2つの田んぼ全部を見廻りました…
いつまでどれだけ採れるのか…
毎年が1年生で、ホントにマコモダケって読めません…

〈気になる記事・後半…〉

史上初、入獄した元法務大臣の河井克行氏が見た刑務所の世界 「次は良い大臣になるよ」その言葉の真意とは?

(記事本文抜粋…)

首相官邸のレッドカーペットから一転、寒風吹きすさぶ四畳一間の独房へ―。2019年の参院選広島選挙区での買収事件で妻の河井案里氏とともに逮捕され、懲役3年の実刑判決を受けた河井克行氏(61)。法務大臣経験者が受刑者になった史上初めての事件で、昨年11月、仮釈放された。

法務省のトップといえば、日本全国の刑務所のトップでもある。そんな法務大臣・副大臣を歴任した河井氏の目に、刑務所の中はどう映ったのだろうか。何か得がたい経験はあったのか。

今回、逮捕後初めて、共同通信のインタビューに応じた河井氏。「多くの気づきがありました。次、法務大臣になったら良い大臣になるよ」と、冗談とも本気ともつかないような言葉を口にする。真意を聞いた。(共同通信=武田惇志)

▽「刑務所は再犯生産工場」

河井氏が収監されたのは、喜連川社会復帰センター(栃木県さくら市)の独房だった。半官半民の運営で、受刑者の社会復帰に力を入れる先進的な刑務所とされる

河井氏はそこで他の受刑者たちと交流を持った。日々を共に過ごす中で、彼らのほとんどが、塀の外とのつながりを失っていることに次第に気づいたという。河井氏は言う。

 「妻が面会に来てくれると、工場の担当刑務官が『河井!』『面会!』と大声で告知するんです。でも、私のほかに面会のあった同衆(工場の同僚受刑者)って一人ぐらいでした。だから面会のたびに、彼らに悪いような気がしていましたね」  

また、妻・案里氏や国会議員仲間から頻繁に本を差し入れてもらい、獄中で870冊読破したという河井氏。だが、差し入れ本の確認作業で分かったのは、知人から差し入れがあるのはいつも自分ばかりだったことだ。  

そうした気づきから、次第にかつて自分が信じていた刑事政策に疑問を抱くようになったという。

刑事政策は、総じて厳罰化の方向なんですよ。厳罰化すれば犯罪が減る抑止されるっていうね。僕も副大臣の時に役人からそう聞かされていましたが、実際に受刑者の立場になり、同衆の話を聞き、現実が見えてきた。皆、実刑判決を受けた段階で、塀の外とのつながりを失っているんです。もちろん、『そうなったのはおまえたちが罪を犯したからだ』と言われたら、それまでです。でもね、この人たちをずっと塀の中に閉じ込めておけるわけじゃないでしょ。刑期の長短はあるにしろ、いつかは社会に返すわけです。例えば、さっきJR山手線で、あなたの横に座っていた人が出所者だったかもしれないわけですよ。現に、出所者である僕自身、都内を自由に歩き回っていますよ」

だが、手紙の発信も月に数度という制限があり、便箋も1回につき7枚までと決められている。河井氏自身、受刑中に回数制限で手紙の返信ができないまま、パーキンソン病だった父親を亡くしている。  

これでどうやって社会とのつながりを回復しろと言うのだろう。そんな状態で何年も社会から隔絶されて、更生しろって言われても厳しい。僕は、妻をはじめとして応援してくださる方がいたので頑張ってこられましたが、普通の人には無理でしょう。ある受刑者が言っていましたよ、『刑務所は再犯生産工場ですね』と」

▽不条理の塊

河井氏が思い出すのは、かつて法務副大臣時代、法務省の官僚から渡された書類に並んでいた「受刑者の心情に寄り添う」「受刑者の心情を理解する」などのうたい文句だ。  

実態は全く違う。入所時に一度、職員との面談があっただけ。その後、心情を聞き取られることなんて全くありませんでした。それに、今の刑務官の人員数では、そんなことを求めても酷ですよ。現場はきっと、本省(法務省)に対して『じゃあ、あんたやってみろよ』と思ってるんじゃないかな」

▽幸せじゃなかった

不安にさいなまれ、疑問を感じることも多かった獄中生活だったが、得たこともある。かつて週刊誌などでも報道された、自身のスタッフへのパワハラに関する痛烈な反省だ。

 「なんで、何回言っても分からないんだ!」。集団行進の際、歩行が遅れがちな高齢の受刑者に対し、刑務官がそう怒鳴ったのを聞いたときのことだった。  

「そのとき、はたと気づきました。自分も過去、同じ言葉を秘書やスタッフに吐いていた。分からないから分からないのに、『なんで分からないのか』と怒鳴っても答えようがない。人に対して厳しく当たる、つらく当たるってことがどれだけ人を傷つけるかこの立場になって、初めてよく分かりました

▽十字架

仮釈放後、河井氏は地元・広島を訪れ、関係者に事件の謝罪をして回っている。今夏には、著書「獄中日記」(飛鳥新社)を出版し、刑務所での日々や、獄中で感じた課題をエッセー風に書きつづった。「今、苦しい思いをしている人たちにこそ、読んでもらえれば。特に、若い人たちに僕のしくじり経験から教訓を引き出してほしいですね」

現在は、政治家時代に訪れた国々に出張しては、外交・安全保障分野で貢献する道を模索している日々だという。  

「事件では、本当に多くの人にご迷惑をかけてしまいました。これは、生涯にわたって自分が背負い続ける十字架です。私益を求めるんじゃなくて、公(おおやけ)のために貢献する人生を生きる。それが、自分が背負っている十字架の意味だと考えています。とはいっても、昔のようにしゃにむにやるわけじゃない。川の流れに身を任せ、夫婦2人、楽しみながら生きたいですね」

👉「私益を求めるんじゃなくて、公のために貢献する人生を生きる」

それが自分が背負っている十字架の意味…。

それに気づくために…
河合さんは懲役3年の実刑判決を受けたようなもの…。

それが無ければ…
これに気づくことが出来なかったとすれば…
この3年は河合さんの一生においてホントに重要かつ貴重な3年だったのではないでしょうか…。

でも…
もし仮にその政治家人生が順風満帆であったとしたら、このような大事なことに気づくことが出来なかったかもしれません…。

そういう意味では…
どちらが本当に幸せな人生なのか考えさせられますよね…。

今の政界にいる政治家の方々のほとんどは…
河合さんがこの辛い3年間で気づいたこの「十字架の意味」に全然気づく事の出来ていない人たちばかり…。

本来は…
その政治家こそが…
この「私益を求めるんじゃなくて、公のために貢献する人生を生きる」という行き方を率先して生きるべき人たちのはず…。

その真逆を行っている事こそが…
その“政治の腐敗”を招いている元凶に他なりません…。

そういう意味では…
「裏金議員」の皆さんも…
3ヶ月だけでも「刑務所体験」されたほうが良いのでは…。
刑務所のインターンシップでも少しは効果あるかもしれませんね…。

政治家人生というのは…
常に「しゃにむ」な生活を強いられるようですが、そのような常に張り詰めた状態で生きていると、どうしても大事な事を見逃し気づかずに人生を見過ごしてしまうのかもしれません…。

そしてそれは政治家だけに限らず…
わたしたちの人生にも言えること…。

何かを常に追い求める人生も悪くはないかもしれませんが、川の流れに身を任せた人生も、それはそれでとても本当の意味で充実した人生になるように思えます…。

この今回の河合さんの記事…。
とても良い記事でした…

〈気になる記事・前半…〉はこちらから…


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