フィリップ・トルシエが語る②
2024年 2月28日(水)
今日の景色…
〈気になる記事・後半…〉
“日本代表の強みと思いがち”だが露呈した弱点は、トルシエジャパン時代と同じ…「森保を批判するつもりはない。名波にはそれが可能だ」
(記事全文…)
フィリップ・トルシエの単独電話インタビューの第2回である。現在の日本代表の戦略は、個の能力に依拠したものだとトルシエは第1回で指摘した。アジアカップで彼が率いたベトナム代表と、森保一監督が招集した選手たちの質の違いに触れつつも、コレクティブが武器とされてきたはずの日本について――ある独自の視点を提示した。
欠いているのは「コレクティブな方向性」
―戦略は個に依拠したままとの意見、その通りだと思います。
「選手を信頼し、選手に特定の役割を与える個に依拠した戦略。選手が役割を果たさないときには、他の選手をそこに配置して対処する。その選手もまた監督の信頼を得た選手だ。
私に言えるのは、コレクティブな方向性を欠いていたということだ。選手がコレクティブな役割を担ってプレーしなければならないのは、私にとって欠かせないことであり最優先事項だ。個はコレクティブの後に続く。選手があるポジションでプレーする際にも、担うのはコレクティブな役割だ。
攻めるにせよ守るにせよ、コミュニケーションを取るにせよ、プレスをかけるにせよそうだ。個が来るのはその後で、選手はコレクティブな役割を果たしてはじめて個のクオリティで違いを作り出す。第一に違いを作るのはコレクティブであって個の能力ではない。これは優先順位の問題だ」
トルシエが考える「日本固有のコレクティビティ」とは
―昨年、日本が連勝を続けている間は、日本のプレーはコレクティビティに依拠していると思われていましたが、実際にはそうではなかったということでしょうか?
「日本におけるコレクティビティとは、社会的な規律のことだ。日本のコレクティビティは監督を必要としない。日本社会を見たとき、日本人はコレクティブで他人を尊重して規律を保ち、秩序を守っている。日本人選手は味方によくパスを出すのがそれだ。
コレクティビティは日本社会のベースとなるもので、戦略ではない。それは教育によるもので、日本の若い世代のプレーを見ても、彼らはコレクティブにプレーしている。一方で、選手には個の力を発揮する自由が与えられていない。日本では、個はコレクティブに従属している。日本社会は個が他人よりも大きくなることを認めてはいない。
日本に固有のコレクティビティは、トレーニングの必要なしに存在する。しかし監督が構築する戦略的なコレクティビティは、選手に役割を与えてトレーニングによってオートマチックなものにする。反復練習が必要なコレクティブなコミュニケーションであって、自然に出来あがるものではない。
日本のコレクティビティは、教育により自然に生まれるものだ。私がここで語っているコレクティビティとは、それではない。対戦相手に対してや、自分たちの選手の能力に応じた戦略だ。道筋を立てること、選手が迷うことのないオートマティズムを構築することは、コレクティブな仕事・練習により成し遂げられる」
方向性を規定し、プランを実現するのは監督の役割だ
―アジアカップで目にしたのは久保建英や堂安律の個のプレーであって、あなたが今、語ったコレクティビティを日本は欠いていたのですね。
「繰り返すが、ナチュラルなコレクティビティは日本社会に存在する。日本代表監督当時の私は、それを常に批判してきた。なぜそこでパスを出すのか、ボールをキープするのかといった個人としての判断力を選手は欠いている、と。
それは教育によって子供たちが身につけたコレクティビティであり、サッカーにおいても確固として存在している。その意味で日本はコレクティブなチームだと言える。しかし戦略的なコレクティビティではない。
私の語るコレクティビティは、プレーの状況や対戦相手、プランなどに応じたもので、どう相手のプレスを回避するか、どうやってサイドでプレーを展開したり、相手を走らせるか。問題を解決するため、スペースを作り出すためにどれだけ我慢すればいいかといったものだ。それにはトレーニングでオートマティズムを得る必要がある。また反復可能である必要もある。
こうした戦略には方向性が不可欠であるし、オーケストラの指揮者が必要だ。方向性を提示できるガイド――チームの方向性を規定し、プレーのプランを実現するのは監督の役割だ」
森保を批判するつもりはない。名波にはそれが可能だ
―日本は名波浩コーチが攻撃を、齊藤俊秀コーチが守備を実際に担当していますが、彼らの仕事が十分ではなかったのと、オーケストラの指揮者として森保も仕事を十分に果たしていなかったということでしょうか?
「私は森保を批判するつもりはない。自分が感じたことから分析しているだけだ。名波は選手としての豊富な経験を、代表の攻撃に還元できる。選手個々にアドバイスを与えられるのも間違いない。コレクティブな側面において、名波主導のもとにコレクティブな戦略を確立していかねばならないし、彼にはそれが可能だ。名波や齊藤は練習によりそれを確立できる。
しかし全体の戦略を決めるのは森保だ。プレーのプランを立てて望むものを得るために練習のプランを決めていく。それは森保がやらねばならないのは明らかだ。
とはいえ森保の戦略は結果を得て証明された。W杯で日本は素晴らしい結果を得たし、個としての選手のクオリティとモチベーション、チームへの献身も素晴らしかった。彼らはヨーロッパのビッグクラブに所属し、日本固有のコレクティビティも備えていた。それが結果に繋がった。
だが、ときに個の戦略だけでは足りず、コレクティブな戦略に頼らねばならないときもある。森保もこの方向性を考慮すべきであり、選手たちにアジアカップで失った自信を再び与えるべきだ。
選手は頼れる存在を必要としているし、ガイドを必要としている。どうすればいいかを具体的に求めている。戦術は11人の個々人がそれぞれに決めるものではない。戦術とはひとつのプランであり、ひとつの理念だ。ボールが右サイドにあるときに、全員がどうするかを理解していなければならない。それこそが、監督が明確にすべきコレクティブな戦略だ」
👉トルシエさんが言うには…
日本には子どもの頃からのその「教育」により、すでにその社会にコレクティブというものが殆どの日本人に存在しているという…。
ただ…
トルシエさんが言っているのはその社会的なコレクティブではなく、サッカーのピッチにおける、そのサッカーの戦略的なコレクティブの話し…。
具体的に言うと…
「サッカーの対戦相手に対してや、自分たちの選手の能力に応じた戦略やその道筋を立てること、選手が迷うことのないオートマティズムを構築すること…」
そして…
「プレーの状況や対戦相手、プランなどに応じたもので、どう相手のプレスを回避するか、どうやってサイドでプレーを展開したり、相手を走らせるか。問題を解決するため、スペースを作り出すためにどれだけ我慢すればいいかといったもの…」
このようなサッカーのピッチ上で起こり得る様々なシチュエーションに対する「様々な対応策」であったり「様々な解決策」をチームとして前もって準備をして、それを事前に練習で反復して行きながら、それを選手全員の「決まりごと」「約束ごと」として「オートマチック」に「自動的に」「無意識に」でもそのピッチ上でその誰しもが「共通意識」として行えるように落とし込んでおくこと…。
それが即ち…
フィリップ・トルシエが言うそのサッカーにおける「コレクティブ」というものになります…。
またトルシエさんにとっては…
その優先順位として…
まずそのチームとしての「決まりごと」である数々のその「コレクティブ」を選手たち全員が自動的に行えるようになった後のその先に、初めてその選手たちそれぞれの「個」を活かしたプレーにチャレンジし、またそれを発揮してその“個としての違い”も創り出すべきだと…。
ただそれはあくまでも…
まずは「チームとしてのコレクティブ」有りきであって、その「チームとしての決まりごと」であったり「チームとしての約束ごと」を果たした上のその先に、その「個としてのプレーの判断」でその「個としての違い」をプラスアルファで発揮して行くべきであると…。
ただ…
その「チームとしての違い」を生み出して行くのは、あくまでもその「チームとしてのコレクティブ」でなくてはならないと…。
その「チームとしての戦略的な方向性」である「チームとしてのコレクティブ」というのを提示して選手たちに示して行くのは監督の役割りであり、それはオーケストラの指揮者のようなものであると…。
その指揮者なくして、その演奏者たちみんなをチームとしてひとつにまとめ上げ、そのオーケストラとしてのひとつの素晴らしい演奏にして行くことは不可能であると…。
いくらそのそれぞれの楽器のプロの演奏者が素晴らしくとも…
今の日本代表チームの中における役割りとしては…
その全体の戦略的なコレクティブである方向性とそのプランを決めて、そのプランに対する練習内容を決めるのは、森保監督の役割りであり務めであると…。
そしてその全体の戦略的なコレクティブに沿った、その細々した各シチュエーションに対する「細かい戦略的なコレクティブ」に関しての落とし込みは、森保監督の下で働く名波コーチや斎藤コーチの役割りであると…。
それを…
限られた練習の限られた時間の中で…
如何に選手たち全員にその様々なシチュエーションに対する決まりごとである「細かい戦略的なコレクティブ」を説明し、その反復練習によって選手たち全員に落とし込み植え付けられるか…。
もちろんそのためには…
森保監督はもちろん、名波コーチや斎藤コーチも、そのひとつひとつのその細かいシチュエーションに対するその「戦略的なコレクティブ」の内容に対して、誰よりも把握し理解し自信を持っていなくてはなりません…。
それらを選手たちに指揮して行く訳ですから…
トルシエさん的には…
それが森保監督然り、名波コーチや斎藤コーチにそれが経験値的に可能であると述べていますが、わたし的には“そこ”が今の日本代表チームにとっての「大きな課題」であり「ポイント」なのではないかと思っています…。
果たして…
このコーチングスタッフ陣に…
その世界に通用する「戦略的なコレクティブ」に関する「把握」「理解」「自信」というものが、その彼らコーチングスタッフ陣の「経験値的」に十分にあるのかどうか…。
おそらく…
彼らもどこか誰かの名将のサッカーを視察し、それを研究し、それを分析して、それに習って、それらの戦略的なコレクティブを日本代表チームに採り入れようと模索していると思いますが、やはり“そこ”には、確固たるその「把握」に「理解」に「自信」というものが欠けているのではないでしょうか…。
そしておそらく…
“そこ”に関して言えば…
欧州の名将たちの元でプレーしている欧州組の選手たちのほうが、そのコーチングスタッフ陣よりもよりその「経験値的」にその「把握」に「理解」に「自信」を持ち合わせているように思います…。
実際にそれらの戦略的コレクティブを、日々の日常的にピッチの上で彼らはプレーしているのですから…
だからこそ…
今の日本代表チームのそのコーチングスタッフ陣の指揮者としての役割りが上手く果たせず、どうしてもその主な欧州組の選手たちにいろいろと任せてしまっているところがあるのかもしれません…。
「戦術は11人の個々人がそれぞれに決めるものではない…」
「選手は頼れる存在を必要としている…」
「選手はガイドを必要としている…」
「選手はどうすればいいかを具体的に求めている…」
このトルシエさんの言葉は…
まさにアジアカップ敗戦後の守田選手のコメントそのものではないでしょうか…
(※守田選手の過去記事…)
監督、そしてコーチたちが…
選手たち全員に明確にしなければならない様々な「戦略的なコレクティブ」の数々…。
それをどれだけどこまで準備して…
それらを限られた練習・時間の中で…
どのようにしてその選手たち全員に落とし込んで行くことが出来るのか…。
欧州組のベテラン選手たちに頼るのではなく…。
そのコーチングスタッフ陣の手腕が問われています…。
ただし…
まだその先があります…。
その限られた練習とその限られた時間の中で、仮にある程度の「戦略的なコレクティブ」が選手たちに浸透したとしても、それが実際本番の試合のピッチ上で、その相手とその予測出来ないシチュエーションの中で、その準備した「戦略的なコレクティブ」即ちその様々な「プラン」というのを、「いつ」「どこで」「どのプラン」を「どのタイミング」で使うのかという見極めとその支持・合図は、ピッチ上の選手たちに出来る部分と出来ない部分があります…。
そしてその大半は…
ベンチにいるコーチングスタッフ陣の支持・合図によって為されるべきところです…。
そこのところを実際にどのようにしてコーチングスタッフ陣はその支持・合図をして行くべきなのか…。
その具体的なところを…
経験値豊かなフィリップ・トルシエが語っています…
この続きは…
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