アメリカミシガン州 KyokofromTokyo#11 フォードの街デトロイトはNoTOYOTA! &デトロイト美術館
ハイウェイの景色
リニーの家を出発、町の保育所へ子供達を預けて、ミシガンの農場の風景から、ハイウェイに入った。ハイウェイに入るまで見ることが少なかった車もここではビュンビュン、久しぶりにたくさんの車を見た。
しばらく車を飛ばして、ガスステーションで休憩に入る。少し店内を見るけど、魅力的なものは何もない。少しスナックを買って、出発。
天気が良くてよかった。大きなインターチェンジを大きく右にカーブしてまた走る。
空港からリニーの家へ行くときは雨の夕方から夜になって景色が見えなかった。復路の今日は天気で気持ちが良く景色を楽しめて嬉しい。
フリントの水
「フリントの街は水が悪くてね、問題になっているのよ」とリニーがフリントの横を通過しながら教えてくれる。水道水から鉛が検出されて深刻な水質汚染が発生したとのこと。
「行政が怠慢なのよね」とても印象に残った。健康被害の行政の対応が遅く、この地域に住む人たちの人種や貧困層への差別意識もあったのではと指摘されていたそう。飲料水を他の地域まで水を汲みにいかないとならないとか。
GAPなどのおなじみの大企業の倉庫や工場、商業施設が立つエリアに入って、少しずつ街の風景になってきた。横に大きく平らで、高さはない。林や森はずっと広がっていて、走っても走っても視界がとにかく広く、国土の広さを感じる。
リニーはスマホをフロントに置いてナビを見ながら、今日泊まるホテルを検索している。そろそろデトロイトの街に近づいてきた。
デトロイトの街へ
ハイウェイを下りて、Detroit Institute of Arts デトロイト美術館へ行く道をナビが指している。デトロイトの町へ下りると、赤く古い煉瓦造りのビル、倉庫のような、ちょっとニューヨークを思い出すような街並み。細い路地が続いて、少し渋滞していた。
美術館に着いたのは昼を過ぎていた。リニーの家から保育所に寄って、デトロイトまで4時間かかったことになる。
デトロイト美術館
美術館の規模はとても大きく、古代エジプトから現代美術までひと通りの時代の美術品が時代ごとに仕切られた各部屋にそろっていて、見ごたえがあった。
私たちは駐車場から急いで裏玄関から入ったので気づかなかったが、実は表玄関は厳かな佇まいのファサードのデトロイト美術館なのだった。
そして目玉は、ひと部屋一面の壁画、ディエゴ・リベラ(フリーダ・カーロの夫) 「デトロイトの産業」(Detroit Industry Murals, West Wall/Diego M. Rivera/1933)の作品。
この時この壁画をしっかりと見ることができなかったので、ここで作品のことを記しておこう。
壁画の部屋の一番奥の壁の上部には農業がテーマ、女性が作物を抱えている姿。農業が人間の営みの源という意味が込められている。左の壁には自動車工場で働く労働者達の姿、「白人と黒人」が一緒に働いている。その上には「黒い肌と赤銅色」の肌の人が鉄鋼と石炭を持つ。そして右側の南壁には「白人と黄色人」が石灰石と砂を手にしている。「鉄鋼、石炭、石灰石、砂」は工業のもととなる原料、そして4つの肌の色の人種は皆平等だと表現している。
今でこそ当たり前な話だが、この作品が描かれた1930年代において「人種関係なく同等」という概念は、相当に斬新な考えだったということ。
そしてそして、右端にはフォードの社長とデトロイト美術館の館長が描かれているそうだ。当時のディエゴに高額な出資をしたのはフォード社の社長!
自動車産業で栄えたデトロイトと、それを支える人間の生活の基盤となる農業が表現されている象徴的な作品なのだ。
これを知っていたらリニーに話したかったな!
(ミシガン州在住の日本人の方のブログにとても分かりやすく解説されています。参考にさせて頂きました↓)
見学で来ている学校の生徒たちをたくさん見かけた。学校の授業で美術館見学が日本でも一般的になればいいのにな。
日本人らしき観光客も見かけた。「話しかけてみる?」とリニー、「いいの」久しぶりに見かけた東洋人だったが、大げさだけど、まだ日本の「空気」にここでは触れたくなかった感じだった。「そおなの?」と意外そうなリニー。今思えば、話しかけてみればよかったな 笑
リニーは私を心配して、ずっとついていてくれたが、ひとりで観て回りたくなって少しリニーから離れて、各部屋に立っているボランティアの人に質問してみたりした。とても分かりやすい英語で丁寧に案内してくれた。すると「Kyoko, どうかした?」とリニーが駆け寄ってきたのがちょっとおかしかった。
時々タバコを吸いに外へ出るリニー。「車の中や子供の前では吸わないわよ」
私も一緒に庭に出てみる。ミシガンでは5月が桜の開花時期、満開の八重桜で写真を撮ってくれた。日本の八重桜よりずっと大ぶりの見事な桜だった。
デトロイト美術館は夕方には閉まってしまう。数時間では全然時間が足りない。閉館時間が迫る中、人影がなくなってきて、まだ見ていない展示室をリニーと駆け足で見て回る。入り組んだ展示室を探して集中して美術を観て回る。オリエンテーリングみたいで楽しかった。
奥座敷で美術品ご購入の商談をしているような場面にも出くわす。美術館で作品を買う場面を見るのは初めて。「あの人たち、買うのかしら?」「さあ?」といつものように肩をすくめるリニー。
デトロイト美術館のロビーの壁には寄付者とその額が刻まれていた。リニーはそれを見て、「私たちの生活は大変なのにお金持ちはアートにこんな高額を寄付するなんて」と言っていた。ふーむ、そういう視点か。
デトロイト美術館は2013年のデトロイトの財政破綻によって、所蔵品が売却されて美術館閉鎖に追い込まれそうになったところ、市民たちの支援によって美術館存続が守られたとのこと、アーティストの私としては美術館が守られたことは大変喜ばしいことだが、ミシガン州民のリニー達にとっては、美術品よりも市民の生活を優先すべきだという主張も当然のこと。
美術館はその地域の富を誇示するために、コレクションしたものをこぞって展示したことが始まり、という話もあるし、権威の象徴というところもあるだろう。よくよく考えると、リニーの言うことに納得してしまう。
美術館の由来をたどって、どうして美術館というものが存在するかというところに行きつきそう。
美術作品ってのは人間が魂を混入しているからこそ、見る人の心の琴線や感情に触れて呼応する、そこが美術の凄さかと思う。人間が作り出すものがアートであって自然そのものと違う美しさがある。
作り出す側、見る側、そして買う側があって成り立っていることも十分あって然るべきで、やっぱり芸術はこの世に必要なものであり続けてほしいと思うアーティストの私がいる。
リニーが自分で撮った絵画の写真が、アメリカ合衆国建国の父「ジョージ・ワシントンの肖像画」 (George Washington / Rembrandt Peale / 1795)とリニーに雰囲気がよく似たピカソの「シルビア」(Sylvette / Pablo Picasso / 1954)だったのが印象的だった。
私が気に入った作品は「Merritt Parkway / Willem de Kooning / 1959」デ・クーニングの超アブストラクト絵画!リニーが写真を撮ってくれた。
美術館を出ると、もう夕方になっていた。雨が降ってきた。すかさず折り畳み傘をさす私。駐車場へ行くまでだけど、「一緒に傘入る?」「いらない」とリニー。結構な雨降りだけど、まったく濡れるのを気にしてない。聞いてはいたが、車に慣れてるからかアメリカ人はあまり傘をささないんだな。
車社会
車が生活に浸透していると、バッグも持つ習慣はあまりないのかもしれない。リニーは財布をジャケットの内ポケットに入れるだけ。バッグを持たないことは防犯には一番かもしれない。
車と言えば、「東京では電車の移動で用が足りるから、車は持ってないし運転することもない」というと「車がないなんてねえ」とリニーは考えられないみたいだった。「東京に住んでりゃ車はいらないだろう、ニューヨークと同じようなもんだよ」とリニーのパートナーのジョンは言っていた。そうそう、そういう見方もあるね。
そして、美術館の駐車場に止まっている車は FORDフォードだらけだった。
「ここにはトヨタや日本の車はないね!」さすがはデトロイト!
「そうよ、 NO, TOYOTA!」とリニー 笑
日本車の台頭がデトロイトの自動車産業にひびが入った要因のひとつかと思うと、ちょっと心が傷むお人好しな日本人が顔を出すが、日本車のコスパと品質が良くて受け入れられたこともあるだろうし、それにリニーのパパは日産のミシガン支社で仕事をしていたから、アメリカ人でも皆がアメ車にこだわっているわけでもなくて、日本車を取り込んだことで繁栄に繋がった他の州もあると聞くし、世の事象は一枚岩ではない、世の中ってのはいろいろなことが織り交ざってできてるんだなあ。
ホテルセントレジスへ
美術館から今日泊まるホテルヘ向かう。リニーが見つけてくれたホテルはSaint Regis Detroit セントレジスデトロイト、エントランスに着いて、トランクからまた軽々と普通のカバンを持つように私のスーツケースをひょいと持ち上げてしまうリニー。力持ちなのだ。
リニーからしたら、私は子供のように見えていたに違いない。
3階の部屋の窓からは空が広くて、道が伸びていて古い煉瓦造りの建物、少し港町っぽい雰囲気。ニューヨークのチェルシーにも似た感じだった。
ベッドの下にスーツケースを広げた。