初めての特養でのお仕事2
お仕事お疲れ様です。
今回も特養のお仕事についてお話しになります。
前回の記事の続きになります。これから何回かに分けて
特養の開設準備から開設、運営までのお話しになります。
お時間ありましたらお付き合いください。
さて、前回の記事では採用についてのお話しでした。
今回は、開設6ヶ月前からの入所者の募集についての営業した時の
お話しになります。
私の住んでいる地域は、特養の入居者の募集の営業は居宅、病院、老健
地域包括など、様々な所へ営業を行います。
皆さんの地域も同様かと思いますが、都道府県によっては、行政から特養待機者リストみたいな物がありその中からピックアップして入所判定会議をして受け入れをされている所もある様です。
話しは戻りまして、私の住んでいる地域では先に書いた通リ、様々な業態へ
営業を行います。
行政の居宅リストを印刷して、エリア分けして営業を行います。上司からは、パンフレット2500枚を1週間で配布するよう指示があり、タイトな状況でした。ましてやこの営業じつは、私一人だけなんです。
もう一回言います。私一人なんです。
なぜ、私だけなのか、それは開設準備室にいるのは上司と私だけなんです。
後から知ったのですが、普通は開設準備には10名位のスタッフで行う事を
だいぶ後から知ったのです。でもその時は、何も知らないので開設準備ってこんなもんなんだと思ってがむしゃらに仕事していました。
話しはそれましたが、特養の営業は初めてだったので、加算や入所要件
お受けできないケース等を勉強しながらの営業でした。
営業自体はデイサービスで経験していたので抵抗無く出来ました。また、
お付き合いのある事業所様や病院もありましたので大変な思いはありませんでした。
ただ、1週間で2500枚のパンフレットを配布する事の方が大変でした。
結果、何とか配布はできましたが、申込みの反応があまりない感じでした。
当初、テレビや私の住んでいる地域では、特養待機者も多い印象でした。
私のイメージでは、パンフレットと申込書を配布すれば、申込が殺到すると
勝手に思ってましたが意外とぽろぽろとしか来ない状況でした。
開設予定の施設はユニットケアの為、居室費用などが多床室よりも高め
だったこともありました。
営業が始まってからは、毎週、法人会議と営業会議が行われるようになり
毎週申込状況の報告を求められました。申込件数が少ないと原因や市場の
状況説明も求められる為、会議前は資料作りで徹夜になる事も増えていきました。前回の記事でお話しした、病院長からは、訪問件数の数字や市場状況の質問攻めにあう為、回答準備も必要になっていました。
営業を始めてから2ヶ月頃から、申込件数をエリア別、業態別で分けて見ると、どこのエリアから申込が集中しているか一目でわかる様にしました。
私一人での営業でしたので、反応の薄い地域はいったん営業訪問を辞めて
多く申込がある地域周辺を営業して集客する事にした結果、申込件数も徐々に増えていきました。また、同一地域の老健や総合病院にも定期訪問して
入所相談員や医療連携室と信頼関係を構築するように優先順位も決めて
行動するようにしました。
そして、一番重要な事を病院長にお力をお借りして、同一地域やその他の
総合病院や地域の開業医の所へ特養の開所予定のご挨拶に同行して頂きました。
これは、特養を開設するにあたり今後地域医療福祉の連携を図るためにも
とても大切な事なので、病院長にもお手伝い頂きました。
病院長は忙しい中、毎週、私の地域まで来て頂き1日で回れる病院や地域の開業医へご挨拶に同行して頂きました。
私自身、病院関係の方々へご挨拶のアポイントを取る事も初めて
でしたので良い経験になりましたし、総合病院の医院長室へお邪魔する
珍しい経験もできました。
1日の私のスケジュールは、こんな感じでした。
出社してまず、メールチェックして午前中に営業の準ツールの準備、採用面接、就職説明会、業者との備品設備の打合せ、お昼には事務所を出て移動しながら食事をして午後一番で居宅訪問開始17時まで訪問していました。その間にも入所相談の問い合わせや面接の問い合わせの対応もしていました。
今思えば結構、無謀な事をしていたなと思います。
なぜなら、入所申込窓口と面接窓口の電話番号を一緒になっていた為
電話にでると相談なのか、面接の問い合わせなのか混ざってしまいトラブルになった事もありました。会話をしながら面接なのか申込相談なのかあたりをつけていました。対応を粗末にしてしまった事で、内定辞退が出てしまった事もありました。(本当に申し訳ない事をしてしまいました)
17時以降に事務所に帰社して事務処理と面接対応や営業日報を作成していました。開設まで毎日こんな感じで時が過ぎていきました。自宅に帰る時間は
いつも21時位でした。なぜなら事務所が入っているビルが20時には閉まって
しまうのです。もちろんビルの守衛室に連絡すれば何時までも入れるのですが、帰る様にしていました。自宅に帰ってからも仕事はしていましたので
寝る時刻はいつも1時位でした。
毎日が大変だったと思うのですが、なぜかとても楽しかった思い出ばかりで充実した毎日でした。
今回の営業編はここまでにします。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
営業については、もっと細かくお伝えしたのですが、あまりにも
長くなりそうなのでまた、別の機会にお話しさせてください。