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子どもへの「否定」がもたらす自己肯定感の低下と人生への影響 【前半】

人格形成において、家族が重要な役割を果たしています。
特に、親との関係性が大きな影響を与えるとも考えられます。

親からことあるごとに「否定」されてきた子どもはどのように育ち、どのような大人になり、どのような人生を過ごしていくのでしょうか。
また、両親が不仲で、ケンカが絶えない。
どの家庭でも起こり得る、とても身近なものですが、
子どもへの影響はどのようなものがあるでしょうか。

自己肯定感の低下や情緒の不安定さ、また結婚観にまで影響が及ぶとされる事例が近年増加しています。

今回インタビューさせていただいた田口知子さん。
日常的に親から「否定」されることを感じて育ちました。
大人しくし、極力迷惑をかけず、良い子であろうと、「自分らしさ」を封印し、言いたいことが言えないようになってしまいました。

家庭という閉ざされた密室の中で、田口さんと同じようなことで苦しみ、悩み、相談することができなくて困っている方も多いのではないでしょうか。

そんな田口さんが、自己肯定感を上げようと努力したり、高めることでもなく、“自分らしさ”を取り戻したストーリーをインタビューさせていただきました。

プロフィール
【田口知子さん】
愛知県在住。
両親と祖父母(幼少期)と弟の6人家族で育つ。
両親は自営業を営み、共働きで祖父母と過ごす時間が多かった幼少期。
大好きな両親にかまってもらいたくて、「よい子」を一生懸命考える日常。
専門学校を卒業し、高級ジュエリーショップに勤務し2016年に結婚。
現在は家族でカフェ経営をし、さまざまな社会活動の拠点としている。

☆interview☆

<インタビュアー:垣渕美晴/研究員 ライター:糸永 達也>


目次
~前半~
■生まれ育った環境は?
■ご両親の関係性は?
■母親との関係性
■どのような影響があったと思いますか?
■仲良しのフリにはいつか終わりが…

~後半~
■旦那さんとの仲直りは?
■解放感と共にどのような変化がありましたか?
■家族再生
■同じような悩みを抱えてる方に

☆編集後記☆

■生まれ育った環境は?

愛知県で生まれ、両親・祖父母・弟の6人家族。
やりたいことはなんでもチャレンジさせてくれていましたし、不自由だなー、と感じたことはありませんでした。
私が中・高校生の頃まで、30年間両親は一緒に印刷関係の自営業をし、共に働いていました。

とても忙しくしている印象で、出張で家にいないことも結構ありました。
そんな時は弟と一緒に祖父母に面倒をみてもらっていました。

祖父母はとても可愛がってくれていました。
ですが、やはり両親のいない夜は寂しかったのを覚えています。
私は、お姉さんだからと家の手伝いを張り切ってしたり、自分がいかによい子にして待っていたかというお手紙を書いて、いつも両親の枕元に置いたりしていました。
祖父母と一緒にいるときに、近所のおばあさんから、「大人しくて、よい子だね」と言われたことを覚えていて、「大人しく良い子でないといけない!」と思ったきっかけとなりました。

たまに両親と一緒に出かけられる時は嬉しかったのですが、両親の仕事関係の展示会やオープニングパーティといった子どもの遊び場とは言えない所ばかりでした。
早く帰りたいと思っていても、「帰りたい!」と言わず(言えず)、両親に迷惑をかけないようにして、ただただ大人しくしていた記憶があります。

■ご両親の関係性は?

両親はとにかく仲が悪い!
いつもケンカをしていて、毎日のように言い合いしていました。
もう、うんざり!って感じでした。
「本当にうんざり!」というのが私の口癖になってしまうほどでした。
両親は家庭内別居もしていた時期もあって、とにかくすぐぶつかる。
子どもの私たちの前でもお構いなし。

両親が不仲になった原因の一つとして、祖母(父親の母)と母との確執もあったようです。
母から見ると、父はいつも祖母の言いなりで、また、母はその祖母と父から疎外されているように感じていたようです。
象徴的なことがあって、私が生まれた時のこと。
出産後で母親が大変な時、私の名前を何の相談もなく、父と祖母の二人で勝手に決めてしまったことがあったそうです。
ですので、母から見た父は頼りなく、祖母の言いなりでいつも自分の味方をしてくれない!って感じだったと思います。

私の父への印象は、叱られた記憶もないですし、黙って見守ってくれているとにかく優しい父。
ただ、母が思っていることと似ていて、「どこか頼りないなー」とも思っていました。

■母親との関係性

母との関係性のなかで、我慢していたことがありました。
それは母と話していて、私が感想や意見を言うと、「それは違う!」と否定される。
たまにあることではなく、日常的なことだったので、否定される度にどんどん辛くなっていきました。
母のことは好きだったので、「母に好かれたい!嫌われたくない!」と思っていたので、母が好むような返事をしたり、否定されないように考え、意見に同調するようになっていきました。

こういったことがコミュニケーションのベースになってしまったので、幼い頃から相手の顔色を伺い、自分の意見は言わない・言えないように封印して、そのまま大人になりました。
否定される、嫌われることがないように、自分をなくしていっちゃったんですよね。
自分の意見や主張をすることへの“怖さ”がありました。

それから、母も祖母もとてもエネルギッシュで朝からエンジン全開でとっても元気。
そんな二人から感じていた共通点がありました。
それは、「私のおかげ」がとても強く、事実そうなんですけど、「そんなに自分で言う?」っていうくらいアピールしますし、自分だけのおかげのようにも言っていているようにも聞こえていて。
自分だけが凄くて、周りは…。
そうは言っていなくても、そうとしか聞こえず、私のこともそのように言われているように感じて、私のことをそんなに「できない子」だと思ってるんだ。と残念な気持ちになったり。
私のことを思ってくれて言ってくれていることだとは頭ではわかっていても、指図されているように聞こえて、とたんにやる気がなくなる。

面倒見がよく、ムードメーカーでもあり、とても尊敬もしていたのですが、母や祖母のような「できる」女性と自分を比べて、自信がなく、弱々しい自分が嫌でした。

■どのような影響があったと思いますか?

否定され続け、表現することに臆病になってしまっていたので、「言いたいことが言えない」まま大人になりました。
私の表現が間違っているのかどうかが気になってしまって、社会へ出ても表現しない(できない)スタンスは変わりませんでした。

表現しないことで、弱々しくて、できない立場でいられる。
だからいつも、目の前にはバリバリできる人が出てきてくれて、全部代わりにやってくれる。
責任を負うことがなく、責任逃れができるという逃げ道を常に持っていました。
ずっと逃げる・避けるようになってしまっていました。

2016年に結婚しました。
両親の不仲を反面教師にして、仲良しな家庭を築きたい!と思っていました。
ですが、当然言いたいことが言えるわけなく、とにかく揉めないように、穏便に、波風を立てないようにしていました。
完全に仮面夫婦ですね。

主人が育った家庭は、ご両親は離婚されていて、また、兄弟も離婚をしていたり。
なので、主人も結婚で失敗したくない!と思って結婚したようです。
お互いの育った環境から、二人とも波風が立たない。ではなく、波風がたたないように。していたのだと思います。

結婚後も結婚前と変わらず、優しい主人で、なんでもやってくれて、本当に仲良しな夫婦関係でした。
もちろん、ケンカもすることなく過ごせていました。
ですが、自分も主人も「波風立たないように」過ごしていただけなので、なにも問題がなかったわけではなく、「仲良しのフリ」をしていただけでした。

■仲良しのフリにはいつか終わりが…

やはり「フリ」はいつまでも続けられるはずもなく、当然ぶつかってしまいました。
ぶつかることを避けてきた私たちです。
お互いしっかりと言わないからお互いにどうして怒っているのか、原因がはっきりとわからなかったんです。
すぐに解消できるようなことだったかもしれなかったんですが、「いったん離れて暮らしたい」という一気に極端なところまで行ってしまいました。
揉めることが嫌な私は、なかなか仲直りをすることができなく、困っていました。


続きは後半へ

どのようにご主人と仲直りされ、さらにはご両親にまで及ぶ、劇的な家族再生が成されていったのでしょうか。
後半では、自分自身との向き合い方、ご主人との向き合い方、そしてご両親の不仲を通して何を感じ、何を受け取り、解消し、自己信頼を勝ち取ったのかをお伝えします。

後半はこちらから
https://note.com/vast_eagle460/n/nde4d700b54f3

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