君のいいねがあるだけで
<麻雀プロリーグ「Mリーグ」に関する物語でフィクションです 使用させていただいている実在のチームおよびメンバーは敬称を略させていただいています>
☆このnoteを親愛なるユニバースに捧ぐ☆
「次はかわさき かわさきぃ~ お出口は右側です。京浜東北線はお乗り換えです。」
混み合う東海道線の扉付近の壁によりかかって立っていた浜岡。その耳にイヤホンをつけてスマホの画面を見つめていた。
「だぁ~ 萩原テンパイが遠い」
Mリーグの実況が千載一遇のチャンスを迎えた萩原のツモをエモーショナルに盛り立てる。
南2局の終盤。点数を減らしに減らしているチーム雷電の萩原聖人。チームも負けが続いており、何とか流れを止めたい一戦。そんな萩原に神さまは無情であり、試合が始まってずっと手が重い。イーシャンテンで配られた配牌ですがテンパイしないまま、もう3段目だ。
親番のファイトクラブ佐々木寿人は圧倒的に悪い配牌から鬼ツモを続け、ついに萩原を追い抜いてリーチをかける。
「おい・・マジかよ」
浜岡は微動だにしない萩原の手牌を見つめる。
「ツモ 4000オール」
佐々木は無情に自分の手牌を開いた。
浜岡は品川にある大手食品会社で働く35歳のサラリーマン。妻と子ども2人の家庭を持つが、自宅は小田原にあって2時間近い通勤時間があった。
大船を過ぎたあたりでやっと横に座っていた女性が立ち上がり、浜岡はようやくシートに腰をかけた。改めて浜岡はスマホに目を落とした。そこにはトップでインタビューを受ける佐々木がポーズを決めていた。
小田原の見る雀
それが浜岡のXでのアカウント名だ。その視線は見るでもなくXのタイムラインに落ち、流れゆくポストをスクロールして見続けた。チームはダントツの最下位で、さらにそのマイナスを増やした。チームサポーターの雷電ユニバースも前向きなコメントながら、その無念さがにじむポストが並ぶ。
浜岡は見る専門でポストすることはあまりなかったが、ユニバースであることを示す稲妻マークを名前につけていた。フォロー数は100、フォロワー数は70程度であまり知られていないユニバースだ。
家に帰ると12時を過ぎていた。妻と子どもの姿はない。もう寝たようだった。
応援している雷電の負けは、自分の負けでもあるような気がしていた。もう少しツキがあってもいいだろう。そんな思いが渦巻いた。
冷めた風呂を沸かし直し、風呂に入り食卓に置かれていた晩ご飯をレンチンして食べ、趣味のネット将棋をする。どこか自分に自信を持てることがほしかった。たとえ実生活には何の関係もないネット将棋でもいい。吹けば飛ぶような自信でいい。勝ったという感覚を持って一日を終わりたかった。
だが負けた。
長時間勤務に長時間残業。長時間通勤をした後にネットの強豪に勝てるほど、ネット将棋の世界は甘くなかった。
浜岡は勝てるまで試合を続けた。
しかし、一試合も勝てなかった。
時計の針は5時を指している。明日は会社だ。少しでも寝ないと体調を維持できない。でも、このまま負けたまま寝ることもできない。
窓の外が明るくなってきた。
結局寝ることができなかった。僅かに1時間布団に入り目をつぶったが寝られなかった。1時間後に起きなきゃ行けないプレッシャーが浜岡を寝させなかった。
次の日の昼2時。トイレの個室の壁にもたれ、寝ているか寝ていないか分からないが、つかの間目を閉じる浜岡。
席に戻る浜岡。席を外して30分近く経っていたこともあり、近くの女性派遣社員がいぶかしげな視線を浜岡に投げかけている。
席に座ったとき、島の端に座る課長が浜岡を呼んだ。その声にどこか不機嫌な雰囲気があるのは分かった。
「先週話した東亜商事への価格交渉はどうなった?」
浜岡はその交渉をしていなかった。元からムリな交渉だった。浜岡はためらいながらも未着手を報告すると課長は激怒した。
「今すぐ東亜商事に行ってこい!」
ほぼ徹夜で出勤していた浜岡はどこかおぼつかない足取りで東亜商事に向かった。しかし、担当者は不在。浜岡は担当者の帰りを待った。
時間は8時を過ぎ、9時を過ぎた。
担当者に会えなかった。浜岡は課長の携帯に連絡を入れた。課長の機嫌は直っておらず、電話口で罵倒された。
今日は金曜日。会社に戻らず、直帰する浜岡は乗り換えで東海道線に乗り、出入り口付近の角に立ちスマホでMリーグを見るでもなく見る。
今日も雷電が戦っている。萩原が戦っている。2日連続で打っている。そして負けている。今日もテンパイが遠かった。
乗客は一人、また一人と電車を降りてゆき、平塚でやっと座れた。
・・・
「お客さん」
「お客さん!」
誰かに肩を触られた。車掌さんが車内の点検をしていた。
浜岡は座った途端、急激な眠気に襲われ、そのまま寝てしまっていた。電車内には浜岡と車掌以外誰も居なかった。
どこかふらふらとなりながら電車を降りた。
階段を上がり、改札を出た浜岡はバスターミナルに向かう。幸いバスは残っていた。
浜岡はバスの乗降口付近のシートに座り、膝に両肘をついて顔を両手で顔を覆った。その姿勢のままバスは出発をするまで停止し続けていた。
徐々にバスは乗客で埋まっていく。
浜岡は顔を上げた。
スマホをポケットから取り出しXを立ち上げ、画面右下のプラスボタンを押した。フリックで文字を入力しはじめた。
「明けない夜はない。オレは信じてる。がんばれ」
それだけ打って投稿し、スマホをポケットに戻した。
その夜、浜岡は泥のように眠りについた。
浜岡は枕もとのスマホに手を伸ばした。土曜日の朝10時。今日は休みだ。
スマホのロック画面に通知が出ている。
「Aoiさんにフォローされました」
Xを開くと通知が「2」と表示されている。
「Aoiさんと他2人があなたのポストをいいねしました」
浜岡はこのAoiさんにフォローバックした。
この日、休日出勤しないと決めた浜岡はスポーツウェアに着替え、ランニングシューズを履き、自宅を出てゆっくりと走り始めた。
海沿いの海岸沿いの細い道をゆっくりと走りゆく一人の男。
浜岡は自分の目の前に伸びる道に目をやった。その道は細く、左右にうねりながら、遙か先まで伸びていた。
浜岡はゆっくり、地面を踏みしめた。
「オレは終わってねぇ」
浜岡は小さくつぶやいた。
週が明けて月曜日、会社に浜岡の姿はなかった。
浜岡は東亜商事の受付にいた。
東亜商事の担当は金曜日居留守を使っていたが、朝一で往訪され、その気迫に負けた。
懸案の価格交渉を率直に切り出し、東亜商事の担当者から承諾まではいかないまでも前向きに検討するとの回答を得た。
十中八九断られるダメ元の交渉。課長もそれは充分承知していた交渉だった。十分な交渉成果だった。
東亜商事を後にした浜岡は会社に向かう電車に乗ってスマホを見た。
ロック画面に通知があった
「Yoshimiさんからフォローされました」
「Yoshimiさんがあなたのポストをいいねしました」
浜岡は会社に戻ると課長に交渉経過を報告した。何も成果は出ていない。でも、課長はどこかうれしそうだった。
その日の帰り、浜岡はXを開き、TLに流れる雷電ファンのポストに目を通し、一つ一ついいねをつけていった。
つけていくその間も浜岡のポストにいいねがぽつり、ぽつりとついていった。
その年雷電は記録的なシーズンワースト記録を作りレギュラーシーズンで敗退した。
浜岡は時折、雷電への声援をポストするようになった。年が明けて4月。浜岡のフォロワー数はいつの間にか300を超えていた。
時は過ぎ初夏。
浜岡は課長に呼ばれた。どこか機嫌がいい感じがした。
「浜岡、お前サンシャインフードを担当しろ」
それは、浜岡が担当する課で最大の得意先だった。
課長は短くそれを告げた。
浜岡は「はい」とだけ答えて自分の席に帰ろうとした。
その後ろから課長が声をかけた
振り返った浜岡に向かって課長はにっこり笑いながら言った。
「がんばれよ」
浜岡は黙って頷いた。
その日の帰り、浜岡はXを開いた。
オフシーズンでタイムラインに雷電の応援ポストはほとんどない。
Xを閉じようとしたその時、画面の右下にある通知ボタンに「1」があるのに浜岡は気がついた。
浜岡は通知ボタンを押した。
「黒沢咲さんにフォローされました」
翌年、雷電は本田朋広がめざましい活躍を見せ、応援する萩原もその活躍を喜ぶとともに、麻雀も復調を見せていた。瀬戸熊直樹もチームをまとめながら笑顔を見せる。
黒沢咲は今年も自分のスタイルを貫いていた。まるで何かを信じるかのように。
「明けない夜はない。オレは信じてる。がんばれ」
あれは雷電へのメッセージのつもりだった。でも、それは自分へのメッセージでもあった。
道は細く、曲がりくねっている。でも、それが見えてきた。
きっかけはフォロワーのいいね。
それが誰なのか知らない。
でも、それでも構わない。
そこに気持ちがあるのは事実なんだから。
おわり
☆thank you☆