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【自分語り】当たり前の裏に隠れている圧倒的努力について

少しばかり自分語りをさせてください。

当たり前の基準が高い組織というのが世の中には存在します。
私がその組織に出会ったのは大学生の時でした。

当時、大学入試が終わりウキウキとした気持ちで私はダンスサークルに入り、塾でのアルバイトを始めました。

私が想像していたのは、勉学の合間にたしなむ程度のダンスをし、塾講師のアルバイトでは生徒とほどよく仲良くなりゆるゆると働く、そんな毎日でした。

この前置きからも想像が出来たかと思いますが、私を待ち受けていたのは想像の何倍も本気の毎日でした。

ダンスサークルはたしなむどころか、生活のほとんどの時間をダンスに費やさなければついていくことが出来ず、練習は深夜にまで及び、先輩は厳しい。

塾のアルバイトも明確な塾運営上の目標があり、その目標の達成に向けて努力する、そしてかなり数値に対してはシビアにならなければいけない。そんな組織でした。

私は高校時代に部活動に対しての姿勢が不真面目すぎて、退部にさせられていますから、かなり衝撃的な経験だったわけです。

どちらの組織も享受する側の時はそんな雰囲気は微塵も感じませんでした。
享受する側というのは、塾であれば授業を受ける生徒側、ダンスサークルであれば出来上がったショーケースを見る側です。

生徒時代は塾のサービスを当たり前のように享受していて、全く不満はなく、とはいえ「塾であればこれくらいのサポートはしてくれて当然だろう、ふむふむ」といった具合に思っていました。

ダンスサークルも同じです。見ている側の時は、ダンスのパフォーマンスを何の違和感もなく「ダンスサークルであればこれくらい踊れて当然だろう」といった具合にショーケースを見ていました。

つまり何が言いたいかというと、そういった「これくらい出来て当たり前の水準」の裏には相当な努力が存在しているということを私は学んだわけです。

この塾の先生方にはお世話になったなという感覚は塾の先生方が授業後に生徒一人ひとりの状況を把握し、今後の方針を親身に考えてくれていたからこそだったわけで。

ダンスサークルが新歓パフォーマンスで見せてくれた、当たり前のように下手な人がいないショーケースも一人一人のサークル員の方たちのたゆまぬ努力のもとに成り立っていたわけです。

もう少し広い目線でこのことを考えてみると、生活の中でTV番組は当たり前のように面白いし、レストランは普通に美味しい、服屋に行けばセンスの良いアイテムが並んでいて、鉄道などの公共交通機関では滅多に大きな事故は起こらない。

これらすべての裏には、それぞれの企業の方の”本気の努力"のおかげで存在しているということなのです。

私が思い描いていたゆるふわな大学生活は過ごせなかったわけですが、その代わりに"本気の努力"の面白さを知ることが出来たという点で収穫がおおきかったなと思っています。

以降、私はスタートアップでのインターンを始めたり、学生団体に所属し始めたりと、いわゆる意識高い系の学生まっしぐらになっていきました。

ぜひ、あなたも本気で何かをやってみませんか?

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