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#5 💚2 死刑に至る病 走り書きレビュー
遅ればせながら、白石和彌監督の「死刑にいたる病」の映画鑑賞レビューをしたいと思います。
上手にまとめられない&考察ポイントが多すぎて頭パンクしそうだったので、わかりやすさではなく思いついた順につらつらと書いていきます。
観た方、まだ観られてない方、観たけどこのポイント意味わからなかったな!と思うことがある方、誰でも結構ですので、一緒に考察深められたら嬉しいです!!
それでは以下、感想文と軽い考察です。
死刑にいたる病
冒頭10分はさすが白石和彌。
「こういう映画ですよ」っていう宣戦布告をかましてくる。爪剥ぎ、顔なぐり、耳削ぎなど。
猟奇殺人だが榛村は人がよく、誰もが榛村を好きになる。なぜなら人を操縦する力を持っているから。面会室の警官まで取り込むの、バケモンでしょ。娘におすすめの本教えて欲しいとか、警官も警官なのだが。
榛村、淡々とした話し方、面会室なのに榛村はイキイキしてる。
歯がめっちゃ綺麗で怖い。死刑囚だよね?
まさやの母(中山美穂)も、かつて操縦されていた。だから「私は決められないから」
人に決めてもらってた。赤ちゃん殺すのも。
榛村は決めさせる。自分の意思がないとできないことを、今まで両親から愛情を受けてこなかった人間たちにやらせる。あくまで自尊心を労わってあげたかったから。
彼にとっては罪悪感はない。いたぶることで労わるのだから。
何がすごいか。主演は岡田健史でも阿部サダヲでもなく、「パーテーション」だったこと。(主演2人ごめんだけど、もちろん主演最高でした。芝居モンスターでした。)
まさやが榛村を父親と疑うシーン。パーテーション越しに、2人の顔が完全に重なり(ここ一番好きなシーン)、まさやが客観的にみていた事件が、主観に入れ替わる。そこからは彼が乗り移ったかのように、まさやが榛村になろうとし、(本人は無意識で)だんだん近づいていく。殺人未遂などなど。でももうシンクロしてたり、まさやがお母さんに「今あの人と同じ目をしてた」って言われるんだから、もう榛村の支配に乗っ取られてたなって後々思った。
「爪」は清潔感の象徴。育ちの良さやその人の生活を映すものだから。まさやの家はおばあちゃんが校長先生って言うのもあって、村で育ったら確実に裕福な方。
親に捨てられたり、殴られていたりした子供は榛村は狙わなかった。なぜなら自分はその気持ちが分かるから。まさやも殴られてたし金山もアレだったからね。
だから頭が良く、清潔感はある育ちの良い、でも親から愛されなかった子達を狙った。
元ターゲットで24人目の女性。可哀想な殺され方。アキレス腱をあんな風にしてはいけません!
時間をかけて信頼関係を築き、ゆっくりと時間をかけていたぶる。その子たちは時間をかけて貰えなかったから。塾や習い事、バイトなどで。
金山のメタファーは、まさやがキャンパスに登校する際の背景。バスケットボールや、テニスボール、(スカッシュ?)などのボール。こいつが怪しいですよ〜のミスリード作戦。ミスリードでは無いんだけど。笑
ボールのせいで、金山は榛村と出会ってしまい、そこから彼の人生が狂った。長期にわたる精神的支配。あたかも金山は自分が彼女に直接手を下したという罪悪感。いや、決めてしまったという、もっと重い罪悪感を抱えて生きていた。
金山も「決められなかった」
(冒頭シーン)
決めてくれませんか?
いや、横断歩道青だし、渡れよ〜
優柔不断は弟を痛めつけた罪悪感から来るもの、それを生涯引きずらせた榛村の一人勝ち。
爪が綺麗な女の子。まさやの同級生のあの可愛い子。
まさやと同じ元ターゲットで、手紙をもらって支配されてた側の人だった笑
彼女がいい味出しまくってた。
榛村のお母さんは爪が綺麗だった、彼が小さい頃は。
彼がもいだ?
まさやの母のように家政婦のような扱われ方をして、手がボロボロになった?
母が自分でもいだ?
まさやは推理をする時、必ずご飯を食べる。これも狂気。
彼が唯一自分でいられたのはあのパン屋でBLTOを食べていた時。つまり榛村と一緒にいた時。榛村のことを考える時にご飯を食べていた。あったまおかし。こわ。
榛村は重要な話やキーポイントで必ず手を組んて前のめりで話す。それはまさやを操縦しようとしている時。
反対にまさやが応戦し、後半は彼をいたぶる。
その際は全く逆の構図。
こっち側に来たらもう戻れないって、あなたがこっちに引き込もうとしてるじゃん!!やめて!!!って思う。
榛村がパーテーションを超えるシーンは2回。
どちらもまさやに触れるシーン。
2回目はまさや、爪を隠す。
怖いよね。ここほんとに怖かった。
手や爪。簡単に触れる場所なのに、あんなに人が手を握っている姿に恐怖を覚えたことは無い。
印象的だった手を舐めるシーン。好きだ。血が吹きでてるのに舐めちゃうんだもん。ちゅーちゅー吸っちゃってて、ああああいいですねぇって言う謎の興奮(エロい方じゃない)と、なんか安心感を同時に覚えたの。
白石監督ってセックスのシーン必ずキーポイントにしてくる気がする。彼女がその名を知らない鳥たちとか、孤狼の血とか、他の映画もそうかもしれないけど、セックスって集中しなきゃいけない行為なのに、その集中力を削ぐくらいのインパクトのあるものをぶっ込んでくる気がする。だから主人公の心情変化の描写として、セックスに集中できないくらい、別のものに取り憑かれてるっていう表現がすごい私は好き。
考えすぎなのかもしれないけど。
爪、なんでばらまいたんだろう。一種の儀式と言っていたけど、実は榛村のお母さんに向けた、綺麗な爪達だったのかななんて。
母への憎悪か、逆に弔い?
ここは答え欲しい。お母さんとの関係が気になる。自分としての答えだけど、
爪を捨てたのは、肉体的にいたぶる事に疲れて、飽きてしまったから。だから手紙を出して元ターゲットの精神的支配、精神的にいたぶれるようにシフトチェンジした。捕まってからもできるから。
爪綺麗だね。
剥がしたくなる?
分かってくれるよね?
いいセリフ!!!!好き!!
これ以上書くと寝れなくなっちゃうので、この辺にしとくけど、とても好きな映画だった。
頭ん中グルングルンさせて、何回も考えながら観れる白石和彌の傑作。
やっぱりパーテーションに演技させるような、監督あなたが1番狂ってる。そんな気持ち。
楽しかった!!!
足りない考察とか、いっぱい感想教えて欲しいです。
以上です。
久しぶりに長文を書いたので、支離滅裂感が否めないけどお許しください。
次はシン・ウルトラマン書くと思います!!
お読みいただいた方、貴重なお時間をありがとうございました。