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『ラデッキー将軍のウインナシュニッツェル』

みなさん。こんにちは。

ここ最近は行進曲を何回も聴いています。何故か仕事や人生に前向きに挑めそうなんです。今回は10回目の投稿になりました。少しづつですがnoteを理解出来るようになって来ています。

色んな人たちとつながり沢山の好き♥とフォローを頂き感謝に耐えません。素晴らしい記事に出会えてとても嬉しいです。みなさん凄いですね!

今日はお休みを頂きました。急の休みですが原稿を書いています。本当に唯一の楽しみです。

みなさんのおかげで1000回のスキ💘を頂きました。最高です!ありがとうございました。

聴いているのはラデツキー行進曲なんです。オーストリアに料理修行に行けなかった若い頃の思い出です。何故かやる気が出ます。


今日はこのような内容でお届けいたします。

①まかない料理は大好き

②なんと無謀なんでしょう!

③拳銃訓練は最初だけ

④手旗信号

⑤「イロハのイ、ヤマトのヤ」

⑥憧れの船員手帳

⑦右足の親指爪剥がれる

⑧小貫さんに柿いただきました

⑨ウインナシュニッツェルってなんだ?



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①まかない料理は大好き

船乗りになりたくて海上保安学校で教育訓練を受けて北海道根室海上保安部巡視船くなしりに配属されました。そこで乗組員に出す料理が大好きになり、52年前は専門的な料理の知識もなく「きょうの料理」を買って来て勉強していました。

仕事に真剣に取り組めば組むほど料理の道へ進みたいという第ニの夢が心の中から湧いて来たのです。とにかくコックになりたいの一心でした。


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②なんと無謀なんでしょう!

そんな時何かの本か新聞の中でオーストリアのホテルで調理師を募集している記事を見つけ無謀にも海外に行って修行したいと考えるようになりました。まだ根室に来て1年足らずです。

でも悩んで考えて募集の手紙を書いて送りました。 ・・・・悲しいかな何か月待っても返事は来ませんでした。

フランス語を話せる訳でもないし、そんな日本の青年を雇う訳ないと思ったけど、まぁこれぞまさしく無謀とでも言うのでしょうか?

願いは叶いませんでした。

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それでも料理を作るのは更に大好きになりました。

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海上保安学校では法律の勉強もありました。特に刑事訴訟法の授業は全く理解できない難しいものでした。まるで別世界!教官の講義していることがチンプンカンプンで頭に入って来ません。

法律は難しいものでした!

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③拳銃訓練は最初だけ

初めての拳銃訓練では拳銃の仕組み分解扱い方使い方を事前に教官から教わって、すずらん爺爺は言われた通りに射撃場で人生初の実弾を打ちました。

驚いたことにそれが標的のど真ん中に当たって教官から「君は筋が良い!」と褒められました。真ん中に当たったのはすずらん爺爺だけでした。その時の衝撃と爆音が身体に伝わり、びっくり驚き2回目からはガク引きなどしてちっとも当たりませんでした。

最初で最後の10点満点ど真ん中でした。拳銃は警察官も使用していたニューナンブM60の回転式の拳銃でした。映画やテレビドラマで俳優がかっこ良く打っていますがそれはもう全然違います。怖かったです。

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④手旗信号

52年前の我が家にはテレビはあったけど電話はない、水道もなく毎朝共同水道からバケツ4杯分を水瓶に貯めていました。

海上保安学校入るのに北海道の山奥から出て津軽海峡を渡りました。函館から青森の青函連絡船懐かしですね!

学校での授業で苦手だったのが手旗信号でした。50〜80メートル位離れた者どうしお互いに何を書いてるか読んでいくのですがこれがさっぱり分からない。机の上で習ったものがまるっきり役に立ちませんでした。

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手旗信号は山でも海でも遭難した時や通信機器がない場合に使えます。昔はよくボーイスカウトに入った人たちが練習していました。

⑤「イロハのい、ヤマトのヤ」

そして特殊無線技士(無線電話甲)免許証を取得しました。それも一次試験で落ちました。担当教官に呼ばれこっぴどく怒られました。追試で何とか合格させていただきました。

この免許証一度も使わず52年が経っています。要するに昔郵便局で電報打つ時に使う「イロハのイ、ヤマトのヤ」って言う無線の資格です。

まさか固定電話だっていらない今の世の中、スマホ一台あれば瞬時に世界の誰にも繋がっていけます。

こんな時代が来るとは思いも寄らなかったです。いーい時代です!

あまりにも進みすぎてすずらん爺爺は戸惑っています。

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⑥憧れの船員手帳

巡視船くなしりに乗船してから船員手帳をもらいました。日付は昭和45年10月20日となって交付されました。19歳の若い船乗りでした。懐かしい思い出です。14,15歳の頃の夢は達成されました。

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⑦右足の親指爪剥がれる

10月12日夜風呂上がり遂に親指の爪が剝がれました。和食の世界に飛び込んではや3ヶ月その間履く靴が全て合わず指先に重圧かかるも我慢しながら痛さをこらえました。

生活がガラリと変わりました。

相変わらず超忙しく立ち回っています。毎朝午前3時半起床4時車出勤5時には厨房に立っています。今の職場ではすずらん爺爺が一番下っ端なので先輩より1時間早く入っています。

何度も募集かけても人は集まらないようです。昨日も夜7時半までやりました。毎日こんな感じで13から14時間やっています。人間仕事に慣れてくると愚痴や文句を言います。でも先輩はもくもくとやっています。

こんな和食の世界を身を持って体験しています。魚の目外反母趾足底の痛み、びっこ引いての仕事ですが71歳動きは遅いですが頑張っています。

仕事出来る幸せとお金の有り難みを身を持って感じています。死ぬまで頑張ります!

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⑧小貫さんに柿いただきました

昨日近所の小貫さんのお父さんが沢山柿を持って来てくれました。毎年この時期に頂いています。富有柿でとても美味しいんです。

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お返しにケーキを作って持って行きます。奥さんや孫ちゃん達がチーズケーキ大好きなんです。

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みなさん!

季節は秋ですね。紅葉いいですね!

すずらん爺爺が住んでた山奥の炭鉱もこの時期になると山全体が紅葉してました。炭鉱は閉山でふるさとは無くなったけど心の中にはあの光景がずっと残っています。

⑨ウインナシュニッツェルってなんだ?

横浜のホテルで働いていた時レストランのメニューに「ウインナシュニッツェル」というメニューがありました。

これは一体なんだろう?と思っていました。ソーセージか何かだろう?・・・知らないと言うことは恥ずかしいことなんです。

分かっていたのは仔牛のカツレツとだけは理解できていました。言葉の意味が分かりませんでした。

「コックは何でも知らないといけない。知識が増えれば技術は後からついてくる。」と帝国ホテルの今は亡き村上ムッシュが本の中でおっしゃっていました。

肉屋さんから仔牛の骨付きのモモ肉が納入されると仲間と競って技術を得るために解体してました。肉だけにして部位ごと分けて煮込み用、ステーキ用、ソース用に分けていきました。

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ヨハン・シュトラウス1世が1848年に作曲した「ラデッキー行進曲」は同年に北イタリアの独立運動の鎮圧に向かうラデッキー将軍を称えて作曲されました。このラデッキー将軍がミラノから持ち帰ったとされるカツレツが「ウインナーシュニッツェル」になったとも言われています。

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ここからは今回ご紹介したい1品の作り方になります^^


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今回皆様に挑戦(ご紹介)したい作品は👆この1品になりますのでもし作りたくなったら是非お立ち寄りください^^



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