見出し画像

故人を温ねて新しきを知る

 生憎と著書を今まで読んだことがありません。ただ、小林よしのりさんが一時期、内容について激しく反論していたのを覚えています。


バドリオというよりも徳川慶喜の方が近いと思います。


勝利のために

「当時は『勝つ』以外はない。平和や終戦が否定され、終戦を進めれば殺されても仕方ない風潮だった」

死を前に「永遠の平和」繰り返した祖父、太平洋戦争最後の首相より

 戦争を知らない世代。戦争を知る世代。価値観が大きく違うと思わずにいられない

 勝つ以外はない。大東亜戦争は戦略的に追い詰められている戦争なので、活路を開くためにはその方針に寄るのも最もだと思われる。

「やるからには勝たねばならん」

漫画「キングダム」嬴政より

 戦争は自分の運命と相手の運命が晒されている。秦王嬴政の台詞のように、敵がたとえ身内であろうとも自分の運命と目的のためには鬼になって容赦なく戦わなければならない。



教育は昔も今も変わっていない。自分を作る、自分を磨くの欠如という一点において。

自分を磨く。それは技、生活技術、職業技術のみではない。心を磨けということ。

どんな人間になりたいかよりも、どんな精神を持つ人間になりたいか

昔も今も日本の教育に最も足りていないのは、自らを支える心、“器量の教育”だとしゅぼは確信している。道徳教育は足りない、教えられる道徳とは社会にとっての礼節、周りに迷惑をかけない集団生活のための規則の域をでないのだから。

本当の人間教育とはどういうものか、これまた「キングダム」で教えてくれている。

‟法”とは願い! 
国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ!
統一後、この全中華の人間にどうあって欲しいのか。どう生きて欲しいのか。どこに向かって欲しいのか。それをしっかりと思い描け!

漫画「キングダム」李斯より

 国家の法でさえこのような国民の目的を考えて作られる。近代国家であろうとも国民の精神、自国にとっての国民像を描いて作るべきもの。

 ましてや教育では尚更、自国民が国家の一員、一人としてどんな精神を備えた人間になって欲しいかを見据えて道徳教育を考えるべきでは無かったのか。

近代国家の教育

 黒船来航を以て鎖国日本の平和が終わった。近代、科学技術が外寇から日本を守るのだと気づいた日本の武士達は、そのために国家と政権を変革させ、明治維新を成し遂げた。

 明治になった日本人は外国に追いつき追い越せの技術と知識を国民一人一人に学ばせ、それを徹底させる教育を推し進める。
 その甲斐あって大日本帝国は近代国家としてアジアで西洋と対等の国家として位置づけられ、日清、日露の二大戦争にも勝っていった。

 明治以後、近代国家の国民になるための教育を国家から国民は受けてきた。

 なんのことはない、非難するに当たらない。知識偏重教育は明治から日本でずっと続いているのです。知識教育が悪かったのでは無い、知識教育に頼りすぎたからおかしくなったと考えるのがよろしい。


 しかし、知識偏重であるのは何一つ反省されていなかったのでは無いのか。
 改善すらされていなかったのでは無いのか。

 戦前も戦後も、そして今でさえも!!!

戦前教育の偏重

 宗田さんは戦時中、学徒勤労動員で鉄工所で働き、特攻訓練も行った。戦争が激しくなると、死をも覚悟したという。ところが、終戦後、大人たちは手のひらを返し、夢を持って“生きる”よう語り出した。宗田さんは腹が立ち、大人は信用できないと思ったという。

《『ぼくらの七日間戦争』宗田理さん95歳死去》10日前、最期のインタビューで語っていたこと「戦争反対」の信念

 宗田理さんも戦争を知る世代でした。司馬遼太郎さんも参戦した戦争を思い出すと平静ではいられなかったとか。

 共に従軍した仲間達を失い、杜撰な兵站と戦略戦術で酷い目に遭った現場の方々の苦労は、戦後の私達からは実感遙か彼方にあるでしょう。
 風化させぬとその時の体験を語り継ぐことは次の世代のためにも大切です。

 ですが、忠義を偏重し人間教育が疎かにされている点は直されていなかったのでは無かったかと思う。


 知識偏重教育の反省としてゆとり教育が叫ばれたときがあった。しかし、その代りとなる知恵を磨くには今を以て至っていない。

結果、知識に欠ける時間を減らしたのみではないのか。

 自己中心的な思考、我欲に左右されやすい結果主義、忍耐を知らぬ不安定な心を増やした被害者達、鬼っ子を出現させる羽目になっているのではないか。

 しゅぼは知恵出ずる教育、知識偏重の改善が人間教育にならなければいけなかったのでは無かったかと考える。


いいなと思ったら応援しよう!