私がストアカで複業(副業)講師をはじめたわけ〜50歳ミドルの働き方
2020年1月のある日。
昨日までの雨も上がり、春めいていい気分で約束の場所に向かった。
その経営者は若くして起業し、たくさんのITフリーランスを登録させ、大手の会社に紹介して利益を得ている。
それは仕事として悪くはないと思った。
逆に素晴らしいことだとその人に会いに行った。
話を聞いていると急に本音が飛び出した。
「私の野望なんですけど。」
そこから衝撃的なことを言い出す。
人材紹介会社社長:「50歳近くなるともう、出世レースに負けた人が90%いるんです。」
私:「そうなんですか?」
人材紹介会社社長:「その90%の人たちを切り捨てて残り10%で会社を回せるような仕組みを提案しているんです。」「うちのITフリーランスを使って構築しましょうって。」
私:「えっ?あとの人どうなるんですか?」
人材紹介会社社長:「どうにでもなるでしょう笑」
私:「その人たち引き上げる教育とか、新サービスとして今後されますようね。」
人材紹介会社社長:「ないですよ!第一、儲かりますか?面倒だしね。」
私:「上場されていて資金があっても?」
人材紹介会社社長:「私のビジョンにないです。」
私:「少しの可能性もないんですね・・・」
人材紹介会社社長:「はい。笑」
ピタッと空気が止まった。
弱者視点は全くない。強いものがより強くなればいい。今さえ、自分さえよければいい。他は知らないという価値観だけがその苦々しい笑顔から読み取れた。
私も含め、50歳を越えた多くの人たちへ。
この問題は一人ひとりが解決しなければならない。
きっと国も解決できない。
全てではないにせよ大手企業も彼になびいてたくさんの支払いをしている。
であれば私たちに何が必要か。
それは「変化」だと言い切れる。
昔とった杵柄。
それももう通用しなくなる。
それよりも大切なもの。
それは当たり前だが、「自分自身」である。
でも多くの人がその「自分自身」を知らないでいる。
自分自身を取り戻すために、一度立ち止まって欲しい。
自分はなぜここにいるのか?何のために生まれてきたのか。
今までの成功、いや、失敗は何を意味するのか?
私は経営者の端くれとして長年、人の会社を支えるため、社員を食わすため、社会を豊かにするために奔走してきた。
それはそれで大切だったけど、自分はどこに行った?
この疑問は消えなかった。
自分の思考が熱を帯びるほど熱くなるほど忙しいとき、一つの禅の教えに出会った。
「止、定、静、安、慮」。
まず止まり、定まり、静かになって、安心して、慮(おもんぱ)る。というものだ。命は当然止められないのだ。
でも思考の迷いは少しブレーキはかけられるだろう。
ここで伝えたいのは若年ベンチャー社長のように人を商品として多くの人の働きの場の廃棄を考えているような存在がある現実を知って欲しい。
我々は作りすぎた恵方巻ではないのだ。
人生を捨てることは決してあってはならない。
風は吹かなければ自分で吹かせるしかない。
それは止まった自分が動くことだ。
自分を信じて変わることだ。
後悔は時間の無駄であり、過去は変えられない。
でも過去に起こったことでこれからの未来の意味は変えられるのだ。
風向きを変えよう。
必ず明日は来るのだから。
ストアカではそんな思いも共有し、副業(複業)を通じて自分の人生、働き方を振り返る時間を共有しています。