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マネジメントの反対語は「波動」
「マネジメント」とは、ある規準などから外れないよう、全体を統制することです。「マネジメント」の反対語は、「自由」でも「放置」でもありません。ドラッガーにより日本に紹介された「マネジメント」は、「ヒト・モノ・カネ」3つの管理を意味します。
「マネジメント」を遂行するマネージャーは、「物事を管理、監督する人」「チームの世話をする人」「外部との交渉を取り仕切る人」などを意味します。
私は、この「マネジメント」が「日本的経営」を破壊し、人間を奴隷に貶めたと考えます。スーパーマーケットでは、月初の会議では、先月の売上予算、粗利予算、労働分配率が評価されます。予算が未達の店舗、部門は、社長、もしくは担当役員から叱責されます。担当者は終始下を向いたままです。
売上予算が未達の場合、チラシが弱かったとか、競合店が出店したからとか、未達の理由を並べる担当者もいます。粗利予算が未達の場合、業者に不当な値引きや協賛金を要求したり、商品のグレードを落とす担当者もいます。労働分配率が高い店舗では人員の削減が行われるか、「もっと優秀な社員を配置してください」と社長は担当者に凄まれます。
月中の会議では、このままでは、月末の支払いに窮するから、何とかして売上げを増やせないかと、今度は社長、もしくは担当役員が担当者に懇願します。全社を挙げて、チラシ枚数を増やしたり、目玉商品の価格を強化したり、ポイントセールを乱発します。
こんなことを毎月繰り返すことが「マネジメント」でしょうか。私は、「マネジメント」の反対語は「波動」であると思います。
人間や動物だけでなく、植物も鉱物も「意識」と「意志」を持っています。「意識」とは波動を受診する受信機です。「意識」が覚醒しているとは、受信機が「ON」の状態になっているということです。「意志」とは、ある波動を受診したときに特定のプログラムが「作動」することです。
私は会議では、「これしろ!」「あれしろ!」とは言いません。繁盛店の売場づくり、作業風景、商品、接客シーンなど、これでもか、これでもかと映像のシャワーを流し続けます。
すると、会議に参加してくれるメンバーは、「私にもできそう」「何か楽しそうだ。その理由は何だろう」「お客様に褒められたらうれしいな」と思うようになります。映像の「波動」を受けて、「意識」が覚醒し、「意志」、つまり特定のプログラムが「作動」しだすのです。
会議が終わることには、「今月、この商品に挑戦したい」「もっと、お客様に近づきたい。もっとお客様が喜ぶ姿が見たい」「取引先に依頼して、映像のような本物の商品を集めたい」など具体的な行動プランがイメージできるのです。社長は、「そうしてくれたら嬉しいな。皆でフォローしようよ」となります。担当者は、楽しみながら、仲間と喜びを分かち合いながら「新しいこと」に挑戦しだすのです。
「絡合」とは、互いにからむこと、もつれ合うことです。鴈のV字編隊飛行は、驚異的ともいえる巧みな飛行制御能力で省エネ飛行を成し遂げていることが明らかになっています。V字の先頭を飛ぶ鴈は、エネルギーを使って羽ばたきしなければなりません。後続の鴈よりもエネルギーの消耗は比べものになりません。先頭の鴈が疲れると最後尾に回って、代わりの鴈が先頭を飛びます。誰がリーダーで誰がフォロワーか取り決めはありません。
これが「絡合」のなせる業と考えられています。
組織には、リーダーもフォロワーもいらないのです。それぞれがそれぞれの持ち場で最善を尽くすだけです。それが「一隅を照らす」です。
「一隅を照らす」は、天台宗の開祖・最澄の言葉で、「一人ひとりが自分のいる場所で、自らが光となり周りを照らしていくことこそ、私たちの本来の役目であり、それが積み重なることで世の中がつくられる」という意味です。
リーダーが高所得者で支配階層、フォロワーが低所得者で隷属階層と考える「マネジメント」とは真逆の考えなのです。
2021年3月に西友の社長に就任した大久保恒夫氏は、会議の仕方を変えたと言います。以前は、幹部が指示を出し惣菜などの開発をしていたものを、パート従業員が意見を出し、その意見を採用するようにしたと言います。その甲斐もあってか、わずか1年で西友は最高益を出したそうです。
今こそ、西洋型の「マネジメント」を捨てる時、そして、「日本が経営」、つまり「波動経営」に戻るのです。