読書#9-5「21 Lessons」著:ユヴァル・ノア・ハラリ
この記事の位置づけ
「21 Lessons」の読書録。以下の続き。レジリエンスの章での気づきを書く。
気づき(レジリエンス)
レジリエンスとは?
回復力と訳されることが多い。何か困難なことに陥ったとき、そこから立ち直ることができる能力。
教育の在り方を変えられるか
情報に価値がある時代があった。むしろ人類史の大半だったと言ってもいいだろう。しかし、スマホが第二の脳を形成したときから、その時代は過去のものとなった。
今や単純な情報は、インターネットで調べればすぐにわかる。計算は電卓でやればいい。外国語だって翻訳ツールがある。ただできるというだけで価値があった技能が、誰でも使える簡易ツールに置き換わったのだ。
それを一生懸命、修得することに意味はあるだろうか。むしろ、そのツールがあることを前提として使い方を教えた方がいいのではないかというのは自然な発想だ。
それはズルじゃないかと思う人もいるかもしれない。けれども、誰だってあることを前提とする便利ツールを使っている。誰もハサミの使い方は教えるけれど、ハサミの作り方は教えない。いや、一からハサミを造らないとそのありがたみがわからないんだよ、と言う人はいないだろう。
技術の発展によって私たちが前提として使えるツールが拡張された。ともすれば、その前提を受け入れるべきだが、学校という場所はそうなっていないらしい。
興味深かったのは、これをユヴァル氏が述べていたことだ。ということは、日本特有のことではないのだろう。日本では顕著なのかもしれないが、他の国でも、前提というものはなかなか変えられないようだ。
変わらなければならない。これは、教育関係者も認識しているだろう。あとは、どのくらいのスピードで変化するかだ。
時代の移り変わる速度は、私達の想像を絶している。私のような凡人はけん引することなどありえるはずもなく、ただついていくのでやっとである。その中で、もたもたとしているようでは、学校という環境は、世界とはかけ離れた空間となってしまう。
学校不要論。そんなものは既にいたるところで掲げられているが、あまりに頑なに変わることを拒んでいると、マジョリティになりかねない。変わらないことは心地いいが、それは世界の理に反する。以下の引用は、もちろん教育にも当てはまるということだ。
瞑想ええやん
著者は毎日二時間瞑想しているらしい。すごいとしか言いようがないが、瞑想の何が彼をそれほど虜にするのかに興味が湧く。
瞑想とは、ありのままを観察することだという。目を閉じて呼吸をする。そして、自分の内側の心の部分をよりよく理解するように努める。
おそらくであるが、制御するではなく、観察するというところに特徴があるのではないかと思う。心というものは制御できると思われがちだ。けれども、それはとても難解で、制御のできる代物ではないことを知ることから始まるのではないだろうか。
自らの在り方を考えるのではなく、観察する。創造するのではなく、観察する。制御するのではなく、ただ観察する。
確かに、やったことがない。
私のような凡人は、たいてい理想を胸の内に秘める。こうであってほしいと。私は、健康で、美しくて、自信に満ちていて、人のことを思いやる心を持つ、純粋な人だと思いたい。けれども、それは虚像であり、現実とは異なる。
そこで、現実との落差にへこみ、打ちひしがれる日々である。
ならば、ちゃんと自分と向き合うことが大事なのは言うまでもない。自分を観察し、今何を感じ、何を考え、何を大事に思っているか。それを喜ぶでなく、悲しむでなく、ただフラットな気持ちで観察する。
瞑想というのは、そういう行為だと思えば、なるほど、とても価値あるものに思えてくる。
形から入って、たいへんみっともないが、私も瞑想をやってみようと思う。とりあえず寝る前に、15分くらいかな。
賢い人がやっているからやってみるというのは、いい思考法とはいえないが、軽蔑するほどわるいものでもない。
私は、そう思う。
終わりに
全五回にわたって、「21 Lessons」について感想を書いてきた。何をだらだらとと思うかもしれないが、これでも1%程度の内容をピックアップしたに過ぎない。しかも、ピックアップしたものの中から一部抜粋したものだ。そのくらい、この本が与えてくれる気づきは豊富である。
ただ、この本を読んだからといって、明日からの生活が変わるとか、仕事がうまくいくようになるとか、そういう実用的な変化は望めない。そういった目的には書かれていないからだ。
思考の分解能が上がる。
今という世界を、ユヴァル・ノア・ハラリという賢者の目を通して見て、考察した内容がつづってある。その思考をたどることは、知らない町の自分なら絶対に通らない道を高速で走り抜けるようなものだ。
一度では思考が追いつかない。どこをどう通ったのかもわからない。しかし、二度三度と読み込んでみれば、町の姿が現れて、今までに見たことのない景色を見せてくれる。
「21 Lessons」とはそういう本だった。