読書#23「大国政治の悲劇」著:ジョン・J・ミアシャイマー、訳:奥山真司
どんな本?
なぜ戦争は起きるのだろうか。
その研究はいくつも行われているのだろう。著者ミアシャイマーは、戦争および大国間の対立は、国際社会の構造によって起こるという理論を提唱している。
訳者は奥山さんで、再び彼のyoutubeチャンネルで紹介していた本を読んでみようという試みである。
ページ数は多いが、構成はとてもわかりやすい。予め提唱する国際システムを構築する5つの仮定を紹介し、後にその仮定を現実社会に適用できるかをじっくりと検証している。
いくつもの戦争の例を紹介しており、日本の例も記載されている。戦略の専門家が見る先の大戦についての日本のふるまいは興味深かった。
2014年に書かれたものであるが、その後の米中対立について予言している。著者自身も検証可能性を述べており、この理論で次の戦争を予測できなければ理論の意味がないと述べている。このあたりはとても潔い。
けっこう長いので腰を据えて読むことをおすすめする。
気づきは?
この世はアナーキーなんだぜい
これはこの本の中での大前提だ。言われてみれば当然のことかもしれないが、国際社会には警察がいない。つまり、国際条約などがあったとして、それを犯したとしても、取り締まる者がいないのだ。
まさに今、私達はウクライナ戦争にてこの事実を目撃している。ロシアの明らかに国際法違反な行為を誰も取り締まることができない。国連があるじゃないかと言うかもしれないが、その常任理事国の一つがロシアなのだ。取り締まるわけもない。
ドライに考えて、国際システムはアナーキーで、ルール無用の残虐ファイトを強いられるということである。言われてみれば当たり前だが、忘れてしまいがちなことだ。
防衛のためだけの武力なんて存在しない
大国は、武力を持っている。それはそうだろう。他国の侵略を防ぐために、少なくとも最低限の武力は必要だ。それは防衛のためにしか使わないと、仮に言っていたとしても、周囲からはそう見えない。武力に守備用も攻撃用もないのだ。
武力を持たない国というのを想像したとき、そもそもその国はどうやって建国したのだろうと不思議に思う。建国の過程で周囲のどの国からも侵略されず、無視され続けるという国があり得るだろうか。たいてい武力を持たない国という考えには歴史がないがしろにされている。
また、世界中の国から武力が放棄されるという考えもある。これは残念ながらあり得ない。世界中の武器が一斉に泡となって消えうせるというファンタジーを語っているからだ。同時武器が消えなければ最後に残った武装国家が覇権を握るだろう。
おまえの考えていることはわからない
個人間でも相手の考えていることを完全に把握することはできない。国同士ならばなおさらだろう。
そのため、どれだけ密接な関係を大国間で築いたとしても、もしかしたら戦争をしかけてくるかもしれないという不安を拭うことができず、武力を放棄することはできない。
この状態が解消される見込みはこの先ないだろうから、つまるところ、武力のない世界というのは未来永劫は来ないのだろう。
みんなサバイバルしている
自らの国家が滅んでもいいと考えている国はない。これに関しては、いささか直感と異なる。なぜならば、歴史を見ても、現状の国家を見ても、明らかに自殺的な行動をとっているところがあるように思えるからだ。
しかし、大多数としては正しいというのもわかる。国は、常に自らが生き残ることを考え、究極をいえば他の国は滅んでもいいと思っている。
大国が生き残るために最もいい戦略は、その地域の覇権国となることであり、そのためには無尽蔵に武力を増強し続けるというのが、筆者の考えである。
武力が減るどころか、このまま武力に関してはインフレが進む。つまり、そういうことである。
合理的な判断で戦争をする
以前読んだ本では、国は往々にして誤った判断に基づいて戦争を行うと書いてあったと思うが、筆者の考えでは、その判断は少なくとも合理的であるというのだ。
断っておくが、筆者は、正しい判断で戦争を始めるとは言っていない。戦争を始める際に、戦力を誤って見積もって戦争を始めることはままあるという。しかし、それらは非合理的な判断ではなく、合理的だということだ。
合理的、というのは、戦争をした方が利益が大きいと判断したという意味だと思われる。あいつむかつくから滅ぼす! とかいうわけのわからん思想ではなく、上記の4つの仮定に基づいて、生き残るために武力を大きくし、戦争をし、そして失敗して負けるのだ。
ロシアの判断が合理的だったとは、私には思えない。しかし、ロシアの視点から見れば何かしらの利益があったのだろう。そして、サバイブするための唯一の方法だと錯覚したのだろう。
この本によれば、次の大国同士の対立はアメリカと中国だ。ホットウォーにまで発展するかはわからないが、指導者達が視野狭窄に陥らないことを祈るばかりである。