落選ショックを和らげる2つの方法
ちょっと前に創作講座で講師をやったときに、
「公募に応募したあと、結果が気になりすぎて困ってる」
「落選したときにショックを受けすぎてしまう」
みたいな質問をいただいたので、僕がデビュー前に実際にやっていた方法を、2つほど紹介してみる。
1. 出版社の地下にはヤギが飼われている
1つめは、「出版社の地下には、ヤギが飼われている」と考えること。
僕が公募に出していた当時は、WEB応募がまだほとんどなかったので、毎日たくさんの紙の応募原稿が、トラックで出版社に届いていたと思う。
そこでヤギ。
出版社の人たちは、届いた大量の応募原稿を、カートに乗せてゴロゴロと地下に持っていき、大量のヤギの群れのなかへと放りだすのだ。
そうして夕方、もどってきて、ヤギに食べられていなかった原稿を、1次選考通過作品とする。
このヤギ選考を突破できるかどうかで、プロの作家になれるかが決まる。
出版の世界は、とてもきびしいのだ。
出版社の地下に飼われた大量のヤギたちが、応募者の前に立ちはだかる、第一関門となるのである。
……というような世界設定。
こう考えると、落選しても、「面白くなかったのかなぁ…」とか「自信なくなっちゃったよ…」とか、落ちこむ必要がなくなるのです。
「よっぽど美味かったんだな、おれの原稿は」
って、思えるから。
おまえの原稿は、ヤギの血肉になったよ。
おまえのおかげで、ヤギは成長したよ。
元気に生きているよ…🐐
人に期待するな。相手はヤギだ。
や、半分冗談なのだが半分は本気で。
アドラー心理学によると、人間の悩みはすべて、対人関係の悩みであるそうだ。
結果が気になりすぎるとか、落選したときにショックを受けるとかも、たぶん、会ったこともないどこかの誰かに対して、期待をしてしまうから抱く感情なのではないかなぁと。
だって、「ルーレットで決まる」だったら、そこまで気にならなくない? 人は天災は受け容れられるけど、人災は受け容れられないというか。
他人に期待をしない方が心は健康。
特に、会ったこともない他人に対して、なにを期待しても無駄なのだ。
でも我々は人間なので、人間に期待をしてしまう。
そこで、ヤギなのだ。
ヤギには期待を抱かないから。
ヤギに期待しちゃうようになったら、それはもう…疲れてるから。
そのときはもう、飼ってしまえ。ヤギを。
2.「落ちちゃった」って考えるからだよ。逆に考えるんだ。「落とさせちゃった」って考えるんだ。
僕がデビュー前にやっていた方法、2つめ。
僕は昔から三谷幸喜さんの作品が好きで、エッセイもよく読んでいた。三谷幸喜さんはUFOキャッチャーが得意であるらしく、エッセイのなかで、こんな必勝法を書いていた。
それは……UFOキャッチャーでうまくいかないときは、自分のなかに、邪心があるときであると。
「あのプライズが欲しい!」とか、「どうしても取りたい!」とか、そんな気持ちが強いほど、自分の指先の繊細なコントロールをうまく制御できなくなって、失敗してしまう。
だから三谷さんはUFOキャッチャーに挑む前、深呼吸して、筐体をじっと眺めるのだそうだ。
そうして心を落ち着け、無心になって、筐体のなかのぬいぐるみを見つめていると……声が聞こえてくるらしい。
「ここから出して」と。
「自分が欲しい」とか「自分が取りたい」とか、そんな強すぎる利己的な心が、己の最高のパフォーマンスを阻害する。
「助けてあげるんだ…!」
この気持ちでやることが、UFOキャッチャーを成功させるコツであるという。
僕は三谷さんのエッセイでその話を読んで、これは小説の公募でもおなじではなかろうかと考えた。
つまり、「賞をとりたい!」とか、「出版したい!」とか。
そんな気持ちが強いほど、受賞は遠ざかってしまうのではないか、と。
そうではない。そんな利己的な考え方ではない。
心を落ち着け、無心になって、応募要項を見つめていると。
出版社たちから、声が聞こえてくるのだ…。
「たすけて…。あなたが受賞しないと、わたしたちはもう、助かりません…」
こう考えるとね。
落選しても、「面白くなかったのかなぁ…」とか「自信なくなっちゃったよ…」とか、落ちこむ必要がなくなるのです。
「助けられなかった…!
オレは、また…!! 助けられなかった…!!!」
ってね。慟哭になっちゃうから。
個人的には、ルカ・ブライトに村を焼き討ちにされた、幻想水滸伝Ⅱ主人公の心情がよい。
落ちこんでいる場合じゃないんですよ。
僕が受賞できなかったせいで、村が焼かれたから。
あの出版社の編集さんも、この出版社の営業さんも、僕を一次で落選させたばっかりに全員死んだよ。いい人だったのに。
僕を一次で落選させたばっかりに(呪)
落ちこんだり、ショックを受けている場合ではないんですよ。
「もう二度と、こんな悲劇を起こしてはいけない…!」
って、頑張らなくちゃいけない。
僕はこのやり方で、東京中の出版社を火の海にしました。
その節は、大変申し訳ありませんでした。
目線を自分の中から引き剥がせ
また半分冗談なのだが半分本気で。(え、本気成分あった?)
なんというか、「目線を自分の心に向けるから、落ちこんじゃう」のだと思うのだ。
もちろん、構想を練るときとか原稿を書くときは、自分のなかに埋没することは、必要なことだと思うんだけど。
原稿が手をはなれたあとまで、自分の中に着目してても何も出てこないよなと。
昔、小説講座にかよっていたとき。
「自分は才能がないと思う。だから辞めようか迷っている…」という受講生の相談に、ベテラン編集者がこう言った。
「才能があるかどうかを判断できるのは、小説の神様だけ。人間がそれを判断できると思うのは、傲慢な考えだよ。辞めるのは自由だけど、才能のせいにせずに、自分の意志で辞めなさい」
めちゃくちゃうろ覚えの意訳なので正確ではないが、僕はそんなふうに受け取った。
そうか、と。
自信がありすぎる人に人は傲慢というけれど、なさすぎるのもまた、自分はわかっているのだと思い込んでいる、人の傲慢さなのかもなと。
おなじ傲慢であるならば、ありすぎる方がマシだろう。
だから、こう考える。
あなたが落選して真に可哀想なのは、あなたではなく、あなたを拾うことのできなかった出版社の方である、と。
それを「落とさせない」ように、「ちゃんと賞を与えられるようにしてあげる」のは、応募者であるあなたの責任だよ、と。
「自分が落ちた」んじゃなくて、「相手に落とさせてしまった」と考える。
そうすれば、どうすれば落とさせないようにできるか? に思考が及ぶので、ただ落ちこんでるより建設的に、次の一手を考えられるのかなと思う。
もちろん、表に出したらただのヤベーやつなんだけど、自分のなかで考えるぶんには、それくらいでいいんじゃないかなぁ。
公募なんて出す時点でみんな傲慢だしさ。
…といったあたりが、僕がデビュー前にやっていた方法になりますが、僕は結局受賞できてないので、参考にしない方がいいと思います。おわり。