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矢印作劇と円作劇
突然わけのわからんことをいうのだが、
僕は、『男子脳の作劇は矢印』で、『女子脳の作劇は円』だと思っている。
矢印の作劇
なんというか、男子脳の作劇は、方向性の圧が強い。
たとえば少年マンガ。
「海賊王になる!」とか、「あの敵を倒す!」とか、向かっていく目標が明確な矢印になる。
たとえばミステリ。
「犯人はだれだ?」とか、「トリックはなんだ?」とか、解かなければいけない謎が明確な矢印になる。
その矢印に向かっていくなかでの、逆流するところが読ませどころ。
これが男子脳の作劇だと思う。僕はこれを矢印の形のイメージで捉えてる。
円の作劇
対して女子脳の作劇は、方向性そのものはあまり問題でない。
たとえば少女マンガは、キャラクターたちのあいだの関係性の変化や深堀りが面白いのであって、べつに、「恋人になる!」という目標へ向かっていく困難を楽しむわけではないじゃない?
たとえばYA小説は、キャラクターの心情が変化や成長していくのが読ませどころなのであって、やっぱりそこに明確なゴールがあるわけではない。
考え方がだいぶ、ちがうのだよね。
僕はこれを円の形のイメージで捉えてる。
複合
もちろん、男だと矢印のみ、とか、女だと円のみ、とはまったく思わないんだけど、「楽しむ感覚」というものに性差の偏りはあって、それがそのまま、作劇における流派の違いや、定石の違いみたいなものになっているんじゃないかな、とは思っている。
児童書に関しては、円だけで勝負する作品はありだけど、矢印だけで勝負する作品は茨の道。
自分としても、どっちの感覚も好きなので、どっちも入れたいなぁという思いがある。
なので個人的な理想としては、以下のような形。
でっかい矢印に、ちいさな円がたくさん乗っているようなお話にしたいなぁと。
逆に、でっかい円に、ちいさな矢印がたくさん乗っているようなお話の形もあるかもしれない。
キャラ文芸とかはだいたいこっちになっているようにみえる。
自分感覚
僕の物書きとしての感覚は、
「ロジックで考えられるのは矢印、感覚で書けるのは円」
という感じ。
頭で計算して考えられるのは、矢印の方。
たぶん昔に作劇として学んだのが、こっちタイプの作劇方法だったから。
自分の感覚とは別軸で考えやすいというか、面白くないときとかに客観的に分析したりしやすいんだよな。
円の方も好きなんだけど……こっちはだいぶ、感覚まかせになってしまう。
ヘタに考えちゃうと、むしろわからなくなるというか。そもそも、プロットになに書いていいかすらわからんというか。
デビュー時の担当さんには、もともとこっちの円の感覚を買ってもらってたと思うし、自分の個性もこっちにあるような気はしているんだが、仕事としてやる場合、いまいち計算ができんというのはあって。
たぶん、プロットの書き方スタイルとか、打ち合わせのコミュニケーションスタイルを変えれば、すっとできるようになる気はしているんだけども。それがむずかしいんだよな。
このへん、ほかの作家さんはどんなプロットや打ち合わせをしてるのか興味はある。