変化の時代
昨今、「風の時代」だとか言われていますが、「社会が変わる」というのはどうも正確ではなく、「人が変わるから社会が変わる」のだと思います。
ニューディール政策から続く、新自由主義という名の資本主義は金が目的に成り下がってしまいました。
本来、金というのは手段(道具)であって、その道具で何をするかです。
それは金槌で釘を打つか、人の頭を殴るのか、包丁で料理を作るのか、人を刺すのかと同じ事です。
この新自由主義を後押ししたのは科学の進歩です。
私が就職する直前、バブルが弾け、30年間ずっと景気は下り坂ですが、なぜ仕事は忙しくなる一方なのでしょう。
私はインフラ系の会社に就職したので、営業職も技術的知識を習得せねばならず、その際は紙の図面を筒に入れ、打合せに行ったり、郵送しあったものでした。
その頃と比べると建設分野における、公共事業の政府投資額は1/6になったにも関わらず、サラリーマンの方々はいつも忙しい。
以前は前述のように「紙」で送られてきたものを「紙」で送り返すという、今考えれば牧歌的なスタイルでした。
ある日インターネットが社会全体に張り巡らされ、メールでのやり取りが普通になってから、仕事は一気に加速しました。
便利は便利でした。間違いなく。しかし図面のやり取りは対面ではなく、メール一本で、「いつできますか?」から「何時に返せますか?」と、どんどんテクノロジーというものに振り回されるようになっていきました。
最近AIが人間を超えることをシンギュラリティと称し、人によっては恐れ戦いている方もいらっしゃるようですが、古い人間から言わせると、シンギュラリティは30年前に起こっていました。
おそらく、産業革命以降の人たちも同じように言うでしょう。
この時代に試されるのは本質的な人間力です。思考力であり、好奇心、探求心、そしてトライアンドエラーを繰り返すしぶとさと、それを許容する社会です。
楽しく生きて行きたいと思っています。