「教育」という言葉が根付いたのはいつからか知らないが(調べればよいのだが)少なくとも、日本人にとっての教育は本来は家庭のモノであったはずだ。農家は農家のノウハウを教わり、大工は大工の技を学んでいく。 では、今のように子供たちを一つのところに集めて「訓練」をする必要に迫られたのは何故だろうか。 日本では欧米列強に追い付け追い越せの時代がやってきた。明治時代、日本が近代国家としての道を選択した時である。 その時から「教育」は「訓練」となった。いわゆる軍事教練である。 皆、同じ時間
「社会とは何か」を議論しようとしても対象は定まらないだろうと思う。なぜか。それは「共通の社会」などというものは存在しないからだ。 例えば昨今よく出てくるワードの「社会貢献」や「次世代型社会」という言葉であるが、そもそも「社会」の定義は人それぞれ違う。 つまり、主観としてみた「社会」は少なくとも「自分の体感できる社会」程度のモノであって、それ以上は存在していても、していなくても同じことだ。 いずれ自分が体験するものこそ「社会の広がり」であり、それに対して「どのような社会で生きて
円安ですねー。私はある作業を海外にお願いしているので、支払いが高ついて困っています。かといってお客様に見積書より高い請求をするわけにもいきません。相談すれば多少面倒は見てくれるかもしれませんが、円高になった時には立場が逆転しますからね。 こういうのを商売の駆け引きと言うのでしょうか。 さて、もっと巨視的にみると、日本は輸入大国で、しかも内需に依存しています。輸出産業(自動車など)の利益アップが報道されたりしていますが、GDPにおける輸出額の割合は17%であり、ほとんどが輸入
昨今、「風の時代」だとか言われていますが、「社会が変わる」というのはどうも正確ではなく、「人が変わるから社会が変わる」のだと思います。 ニューディール政策から続く、新自由主義という名の資本主義は金が目的に成り下がってしまいました。 本来、金というのは手段(道具)であって、その道具で何をするかです。 それは金槌で釘を打つか、人の頭を殴るのか、包丁で料理を作るのか、人を刺すのかと同じ事です。 この新自由主義を後押ししたのは科学の進歩です。 私が就職する直前、バブルが弾け、30
こんにちは。思いついた時だけ備忘録的に書いています。 それにしても相変わらずマスメディアも酷いし、鵜呑みにする方も酷いです。みんなマスメディアやSNSの陰謀論とかホント好きね。自分で調べないけど。 既にこの世界には真実など存在しないと思うべきです。コントロールされたプロパガンダが嫌なら、情報には触れないことです。 情報というのは「情報化社会」のように、なんとなく先進的で流動的なイメージを持たれる方もいらっしゃると思いますが、「情報」自体は過去のものです。絵も音楽もニュースも
飛行機が好きです。手軽な現実逃避。
おはようございます。 noteに投げかけすることにしました。 今朝は「いのち」というテーマを思いつきました。 私は小さいころ、広い庭のある古い家に住んでいて、蜜柑や山椒が生えていました。 そして、山椒の葉を食べるアゲハチョウの幼虫を捕って、虫かごで育てていました。山椒の枝ごとへし折っていたので少々怒られましたが。 福岡紳一さんという生物学者が幼少に全く同じ経験をしていたことを読み、驚いたことがあります。でも昔は外に出れば探す必要もなくその辺に居ましたし、ポケモンゲットくらい