スルメ曲じゃなくて納豆曲
今日はずっと真夜中でいいのに。の「あいつら全員同窓会」を考えてみました。
USENでサビだけが印象に残りすぎて、気になったので。ここまでサビをしつこく繰り返すのは強いメッセージがあるはずと思い、いざ。
はじめに
ざっと聞いて、言葉選びについていけないと感じたのは年のせいかもしれない。
ゲームのコラボ曲らしくそれを意識してる要素があるのかもしれませんが、私の信条に沿ってそういった情報は敢えて無視して、曲から得たものだけで考えています。ちなみにミュージックビデオも観ません。このアーティストの他の曲を聞いたこともないので、先入観なしで綴れます。
考察
“思い通りに起きれない
急いで飲み込む納豆巻き
当たり障りのない儀式みたいな
お世話になってます
手帳開くともう過去
先輩に追い越せない論破と
明る日も来る日も 道草食って帰るが贅沢
まずは曲の雰囲気から。
流れるような歌いかたと心地よく流れていくメロディに聞き流すと理解できない歌詞が載り、歌詞読まないと何言ってるかわからない位の自然な仕上がりになっています。この感覚は、歌詞を考察することで意図したものだと私は感じました。また、先取りしてしまうと2番では同じメロの部分は奏でる音の数が増えているので、1番は敢えて少なくして静けさの演出がなされているとも考えられます。
さてさて歌詞ですが、「起きれない」「儀式みたいなお世話になってます」「手帳」「先輩」「道草が贅沢」のキーワードから連想される歌中の僕のイメージ像は、若手の社会人でしょう。
あー、なんか上手くいってないリーマンってこんな感じだよねー。で終わらすのはちょっと浅い気がします。
ここで大事なのは2点あります。
「先輩に追い越せない論破と」の部分が少し理解しづらいと思います。これは、先輩を追い越せないとか、先輩に追い付けない。とかいう意味では無いです。
タイトルを思い出しましょう。あいつら全員同窓会です。サビ部分でも考察しますが、簡単にいうとバカにしているのです。つまり、この僕は論破力は先輩を上回っていると思っているということです。自己管理も社交辞令も業務管理もできない若手が、です。当然、先輩を直接論破しているわけもなく妄想でしょう。だって、事実だったら先輩“が“と書くはずです。実際に試みていないから、先輩に(は)追い越せないとしているのです。そんな妄想と道草をくうという現実逃避が贅沢だと言っています。僕は弱っちいなー。
ちなみに「論破」という言葉も個人的にはバカにしているワードだと思います。このバカにしている対象は、論破といっている僕になるわけですが。ともかく、この作詞者はワード選びがすごいと感じます。
そしてもうひとつの大事な要素が「納豆巻き」です。納豆巻き、コンビニなんかで最後まで売れ残ってるイメージありませんか?私は納豆巻き、嫌いじゃないですが。
もうダンスダンスダンス 誰も気づいてない
ジェメオスよりもゆうもわな落書きに
もうステイステイ捨てる 下積み正義
嫌味に費やすほど人生長くないの
歌詞みなくても何言ってるかわかる!けどやっぱり意味は考えないとわからない。曲調もここからサビにかけて盛り上がっていきます。
誰にも気付かれずに踊る。という行為は、見えないところでしか踊れないのか、そんなことは関係なく踊っているが、結果として誰も気付いていないのか。で、意味合いもかわってきますが、この時点では判断不可能なので保留します。ところで、一人でダンスってちょっと滑稽ですよね。歌詞の端々にバカにしてる感が漂います。
さて、次のジェメオスは独特な絵を描く画家のことでそれよりも「ゆうもわな」んだそうです。先ほど言葉選びがすごいと評しました。この部分、ユーモアじゃないことに意味があるはずです。続く歌詞と一緒に考えましょう。
「ステイ」「捨てる」という言葉からポーカーを連想しました。ステイはポーカーにおいて消極的なゲームへの参加継続表明の意味があり、それはつまり下積みが大事という価値観への絶対的な服従を意味し、そんなものは捨ててしまえと、下積みなんてやってるほど人生長くはないんだと言っています。それに、弱い役にこだわってるよりも、手札全部捨ててカード引き直したら、強い役が揃う可能性もあるんだよ。といった前向きな意志も感じられます。
しかも、その下積みが大事という価値観も、「You (も) wanna」落書き、つまりアンタが身勝手に思い描いた成功への道のり的なもの(落書き)で、それを目指して我慢して一人で頑張り(踊り)通しても誰も気付いていない、意味のないものだよ。そんことしてる暇、僕にはないんだよ。ってのがこの部分の意味でしょう。歌詞を一行ごとに理解しようとすると上手くいきませんが、前後と絡めると納得、なっとく、納豆食ぅ。納豆、キーワードですのでリマインドしときました。
※どうでもいいから置いてった
あいつら全員同窓会
ステンバイミー自然体に
シャイな空騒ぎ
ねばった戦績 飛んでった
なりたい自分に絡まる電柱
ぼーっとして没頭して
身勝手な僕でいい
どうでもいいから置いてった
あいつら全員同窓会
ステンバイミー自然体に
シャイな空騒ぎ
ねばった成績 飛んでった
なりたい自分に絡まる電柱
ぼーっとして没頭して
身勝手な僕でいい※
サビ聞いてると楽しい気持ちになります。歌詞はヘンテコ(褒め言葉)ですが。
このサビを考えるのは、何はなくとも「同窓会」のイメージを詰めるところからでしょう。過去、郷愁、閉鎖的、思い出補正、無意味で生産性のない集い、現実逃避などでしょうか。どちらかというと、ネガティブイメージです。
ステンバイミーは、きっとあの有名な映画のことで、郷愁と子供時代ゆえのなんともいえない感情を想起させます。「子供のころの距離感、今じゃ色んなしがらみで詰められない距離感を、懐かしみながら歩み寄りたいけども、やっぱり大人になった自分たちでは踏み込めないから、空回りしてるような照れ臭い雰囲気の同窓会気分」を醸すおバカなあいつらなんて、放っておいていこうぜ。という前半と、
納豆の後半です。
「ねばった」は努力と言い換えてよいでしょう。頑張って飛んだのに、なりたい自分に電柱が絡まる。え、納豆が絡むんじゃなくて?そう、ここは敢えて錯誤狙いの歌詞構成だと思いました。ラスサビでは「電柱」が「連中」に変わっています。意味合い的にはほぼ同じなんですが、強いて言うなら「電柱」は社会の基盤的なもののイメージかな、と思います。
なりたい自分に向かって頑張って飛んだけど、まだ頑張り(ねばり)が足りないか、方向性が間違っていて、しがらみから脱却は出来てないよー。という感じです。まぁでも、無気力でも全力でも、身勝手な自分でいいよねっていう自己肯定で締めています。
サビは特に言葉遊びが多く、やはり聞いていて楽しいです。意味もちゃんとあり、私好みです。
会っても癒えない世界で
匿名の自分になって
誰を批判しなくたって
発散できる言葉探してる
Hip hopけって
濃いめの愛闇拭って
誰を批判しなくたって
発散できるファッション探してる
サビでしっかり引き込まれているので、2番以降は静けさ不要でメッセージ性の強い歌詞が続きます。歌いかたも強めになっています。
歌詞です。前半部の「癒えない」は言えないとかけていますね。拡大解釈するなら、攻撃的な発現を介しないかたちでの承認欲求に飢えているようなイメージです。SNS批判ともいえますかね。
後半に関しては、音楽やメイク、恋愛の話(特に闇部分)をする自分や、歌詞中にはありませんが性自認などをファッション感覚で自己表現としている人も多いと思います。そのことを揶揄しているものと感じました。
この2つを合わせると、自己肯定・自己表現・本当の自分といった言葉が浮かびます。そして、続きが
どんな名言も響かない僕から
何も生まれはしないけど
目に見える世界が全てじゃないって
わかりたかっただけ
※ くりかえし
自己啓発的なもので世の中溢れていますよね。そういったものに、望むとも望まざるとも触れる機会が多いです。でも、僕にはしっくりこない。んだけども、とりあえずは新しい価値観を得て、違う物の見方があることを、違う世界が拡がっている可能性を信じたいっていう、未来志向に生きたいという意志の現れだと思いました。
そして、サビの繰返しです。歌詞が同じだから見落としてしまいそうですが、未来志向になった僕と過去に思いを馳せるあいつらとの対比が形成されているのです。
誰かを けなして自分は真っ当
前後を削った一言だけを
集団攻撃 小さな誤解が命取り
あんたは僕の何なんだ
そんなやつに心引き裂かれたんだ
想像は想像でしかないし
粘り強いけど打たれ弱いし
心臓を競争する前に
うんざりするくらい、何度も繰り広げられるSNSなどの切り取り拡散や報道。匿名の誰かに、名も知らぬ誰かに、現実世界には存在しないネット空間にしか出現しない人格に、勝手に攻撃すべき対象というイメージを貼り付けられて、ちゃっかりダメージを受けてしまう。(僕は)納豆食べてるから、粘り強いけど所詮は納豆だから簡単に潰れちゃうよ。そんなことで心をすり減らすなんてバカげているよ。
僕はそのゴールのないレースからは降りるよってことでしょう。
どうでもいいから置いてった
そうでもないから飛んでった
どうでもいいから置いてった
あいつら全員同窓会
ステンバイミー自然体に
シャイな空騒ぎ
ねばった戦績 飛んでった
なりたい自分に絡まる電柱
ぼーっとして没頭して
身勝手な僕でいい
どうでもいいから置いてった
あいつら全員同窓会
ステンバイミー自然体に
シャイな空騒ぎ
ねばった成績 飛んでった
なりたい自分に絡まる連中
ぼーっとして没頭して
身勝手な僕でいい
繰返しは強調表現です。本気で飛んで行きたいという意志が強くなっています。
そして、唯一ワードが変わる「電柱」から「連中」です。電柱は社会のしがらみと先ほど解釈しました、でも電柱は動きません。避けて飛べば絡んでくることはないのですが、「連中」はそうはいきません。それぞれの価値観で、あるいは「常識」や「普通」などという名の強靭な投網でもって、僕を飛ばせまいとしてしつこく絡んできます。
それは同調圧力で、それは老婆心で、それは嫉妬で、そしてそれは不要なものです。それらを避けるには、ぼーっとした無意識下でも没頭した全力状態でも、自分を軸にした行動が求められるのです。
一番のサビの解釈では、身勝手な僕でいいというのは、自己肯定をしている様子でしたが、歌詞を経ることにより、強い行動への原動力という物へと昇華できています。お見事。
お疲れ様です 風邪気味です
冗談なのか本心なのか わからなすぎ問題
了解も災害も 大嫌い
夜道歩き 孤独に浸ったり
変なパジャマの人と目が合ったり
それだけの時間を増やしたい
それでも夜道は風邪ひくよ
仮病かよ(笑)。歌いかたもサラリーマンあるあるな雰囲気です。さて、わからなすぎ問題は、僕自身の気持ちのこともだし、風邪気味を伝えた後の「了解。お大事に。仕事はこっちでフォローしとくね」とか「(地震カミナリ火事オヤジからの)バカ野郎!そんな理由で休めると思ってんのか!今すぐ来い!」とかの、どっちかの極に触れる返事ですら、それが本心かどうかわからないという2つの意味が入ってます。つまり、迷っててよくわからん状態なんで、夜道を彷徨い歩くようなもんだと言っています。
そして、夜道歩きは1人で考える時間だったり、内省する自分(変なパジャマの人)に気付いたりするためにも大事にしたいよね。でも、その精神世界に引きこもってばかりはいけないよ、こじらせるぞ。という流れですね。
余談ですが、私も考えをまとめる時によく夜道を散歩します。捗ります。
人の ダメなとこばっか 見つけて
指摘して、自分棚に上げすぎ
心と体終わってく
こんな自分そんな身分じゃない
言い切れることはない
いい切れたことは自分に言い聞かせてること
意識の軸を他人に置いてはいけない。他人に言った言葉や態度は、結局自分に返ってきて、やがて身も心も蝕んでいく。そんなことしていいのは神様?仏様?くらいなもんで、僕は僕でしかないんだから、そんなことするべきじゃない。他人をどうこうなんて出来ないんだ。どうこう出来るのは結局自分のことだけなんだ。だから、僕は僕に何度でも言い聞かせるよ「身勝手な僕でいい」ってね。
サビのしつこい繰返しは、これを伝えるためでした。
さて、ここまで強く「身勝手な僕」にこだわれるのは、ズバリ納豆のおかげでしょう。
歌詞の最初に登場した、意識しないと聞き流してしまいそうな扱いの納豆巻き。
納豆巻きは、最後まで売れのこっている(あくまで私の印象ですが)。同じように、納豆のように粘る力は僕の心の中にまだ残っているだろう?と、現実の納豆巻きと粘り強い意志という精神をリンクさせているのです。そして、道草を食うという現実逃避の末にそれを買って翌朝食べるわけですが、食べるのは生きるために必要な行為です。意識して、納豆という粘る力を取り入れていかないと僕は生きていけないぞ、という意味にもなります。
過酷な現代を生きるのに必要な粘り強さを持ちつつ、でもそれだけじゃ心がもたないから斜に構えて受け流すための理論武装(妄想論破)して、社会を否定してみたり、SNSで居場所探してみたり、でも結局SNSでも受け入れがたい社会があって、そこから脱け出すには結局自分を変えて未来を向いて行かなくちゃいけないんだって内省したりして、同窓会みたいな過去に依ってしか生きられない連中に意識を持っていかれちゃダメなんだ。頑張ろう、自分。納豆食べて頑張ろう!
という、すごくポジティブなメッセージを届けてくれています。無茶苦茶な歌詞と思いきや、全ての言葉に意味があり本当に素晴らしい作詞とマッチしたメロディだと思います。聞けば聞くほど私の中の納豆の粘りが強くなりそうです。
さてさて、ここまで同窓会をけなして進行してきました。なんせ最初の方から、この曲はバカにしている曲と書いてきましたし、きっと多くの人もそう認識したまま、この曲の考察を終えてしまうかもしれません。でもね、
また笑い転げられるのさ あばらの骨が折れるまで“
あいつら全員同窓会 作詞:Acane
誰しも死ぬほど笑ったことあるとおもうんですが、それって「あの頃」ですよね。「あいつら」に会って「また」大笑いしたいなって、私は思いました。
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