知恵の実をひとかじり
「またひとつ消えちゃったね」
夜空を見上げていたボクは、妹のかじかんだ指先をぎゅっと握りしめた。
「そうだな……」
それは返事と言うにはあまりに弱々しく、ボクの耳に入ったのは、風がちょうど止んだからだ。父は自分自身に呟いただけなんだと思った。
「寒いよぅ……」
妹はずっと帰りたがっている。
「父さん、明日も来るんだよね?」
「いいや、もう今日が最後だ」
「やったー。じゃぁ早くかえろ?」
握っていたボクの手を振り払い、妹ははしゃぎまわる。
父はどこを見ているのかよくわからない表情で佇んでいる。
今日が最後。
「どうした、はやく出すんだ」
「ごめん。はい、これ」
ボクはカバンからリンゴをひとつ取り出して父に手渡そうとした。それを見た妹は動きを止めて、神妙な面持ちで目をつむる。
「今日はお前が食べなさい」
父は、突き出したボクの手を包み込むように手を添える。
「どうして? 父さんの務めでしょ」
「今日はお前が、食べなさい」
父は、リンゴを見ていた。
「ね〜はやくーー」
父に向かってボクは頷いてみせた。少し大げさに力強く。
数えるほどしかない星。
漆黒の夜空。
吹きつける雪。
真っ赤なリンゴ。
ボクはそれをひとかじりし、天たかくその果実を放り投げた。
「感謝と祈りを」
「「感謝と祈りを」」
一瞬の静寂。
「終わった終わった。さぁ帰ろう!」
妹ははしゃいでいる。父は夜空を見上げている。
ボクはそんな二人を見て……妹のかじかんだ指先をまた握りしめた。
そこにある確かな冷たさが、逆にどうしようもなく温かく感じた。