#01哲学対話【「美しい」とは】雑観まとめ
11月7日に開催した哲学対話スペース「美しい」とはの雑観をまとめていきます。
「最近何を見て美しいと思った?」という友人との話で、自分は入道雲(自然)を見たとき、とパッと出てきたのですが、友人はそもそも美しいの定義がわからないので回答できないとこたえました。今回は美しさの定義や、関連することについて話していきたいと思います。
■関連ワード
美貌、きれい、整っている、均一、褒め言葉、絶対的、大自然、絵画、人の顔、数式、美意識、美的センス、美魔女、マリアージュ
■トピックス
今回の参加者===========
🐬:主催者。絶対的美の探究者。
🐥:参加者A。美しさはどこにあるのか気になってます。
🐸:参加者B。整然も混沌も美しい。
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■最近美しいと思った瞬間/美しいの定義
🐥
・サックスの演奏会に行って、音色を聞いて美しいと感じました。
→何かを見たときに美しいと感じることが多いと思っていたが、視覚情報以外で身近に美を感じた瞬間があった。
🐸
・「きれい」と「美しい」の使い分けについて
整然としてるものはきれいとも言えるし美しいとも言えます。
一方で混沌としてるものもきれいとも言えるし美しいとも言えます。
→鑑賞者視点で極端にどちらかに偏っていると、そう感じるのかも?
疑問)前途のサックスの演奏会に話を置き換えてみると、混沌とした音色を聞いて美しいと思うのか?(混沌とした音色=不協和音的な)
→美しく感じる混沌にもなにか条件があるのかもしれない。
■何かを評価するときの方法は大きく2つに分けられる
🐬
1.パラメータが尖れば尖るほど高評価
2.パラメータのバランスが整っているほど高評価
→「美味しい」や「容姿が良い」は2.のパターンだと思うのです。偏り理論は1.なのでしょうか?
■後天的な美しさを受容する感性について
🐥
・なぜサックスの音色を美しいと感じたのか
→学生時代にサックスを演奏していたので、比べる対象があるからだと思います。経験によってそれが美しいかどうかを比較しているのでは?
(この比較ができないと、そもそも何が美しいのかがわからない)
■絶対的な「美」は存在するのか?
🐥
・絶対的な美が存在するなら、人の顔の好みは同じになるのでは?
→実際人の好みは千差万別なので、結論絶対的な美は存在しないのでは?
🐬
・本当に千差万別なのでしょうか?
細かい点まで含めれば差異はあれど、美しいとされているものの共通点、傾向は存在すると思います。
🐸
・人の顔を例に挙げて話しているけど、その「美」について主観的な「好み」も判断基準に入ってしまい、普遍的な判断はできないのでは?
例)吉沢亮似の人に何かトラウマを持っている場合、世間的には美と評価されても自分はそうは思えない。
🐬
確かにそれは一理ありますね。今回に関しては視覚情報のみという前提で考えたいと思います。
その場合に限り、絶対的な美の条件はあると思うのです。
■整っていない美/不完全な美
🐬
自分の実体験ではないですが、調べてきた物がありますので共有します。例)1.詫び寂び
ものが欠けている状態、余白、左右非対称に美しさや趣を感じる。
2.古着
ダメージジーンズ→不完全な美
あえて新品(完全)ではなく、古着(不完全)を着る。
🐸
・枯山水について
欠けているから美しいとは思わないですね。むしろ、庭の手入れが行き届いていると評価してる点では、完全寄りな美しさを受容していると思います。
■分かり得ない「美」を「美」として認められるか?
🐬
感覚的な美と対照的に論理的な美が存在すると思っていて、主に芸術に多い気がします。
作り手がその作品を作った理由や背景を知らないで鑑賞するのと知ったうえで鑑賞するのは全然違うと思います。
例)「この位置に泣いている女性を配置しているのはこういう理由だからである」
意味を理解しないとわからない「美」というのがあると思います。
サックスの音色を美しいと思うといった、経験に側した美しさも、どちらかというと論理的な美しさかもしれません。
■物体的ではない美しさ
🐬
勤務中休憩時間に入るとき、5分区切りのタイミングで入りたい。そうでないと、なんか気持ち悪いんですよね。
→「きりがいい時間」→美しい時間(タイミング)といえるのでは?
仕組みの美しさ「よくできてるなあ」
例)ボードゲームのルール
→計算されつくしている、「関心」に近いかも?
■入道雲をみて美しいと思う仕組み
🐬
入道雲を直接とらえて美しいと思っているのではなく、入道雲に紐づいている作品だったり、それを鑑賞した自分の経験が蓄積していて、入道雲からそれらが想起されて美しいと感じているのでは?
■保存される「美」と瞬間的な「美」
🐬
保存される「美」:古代ギリシャの作品、ピラミッド。太古の物が現存していて、今でもそれを鑑賞することができるという時間的保存に価値を見出す美しさ
瞬間的な「美」:花火、ドミノ、桜の花びらが散っている様子などにみられる刹那的な美しさ、その一瞬でしか見れないところに価値を見出す
星空や月の美しさ→昔の人も同じ景色を見ていたのだろうかというロマンを感じます(美の時間的保存の価値)
■美の破壊衝動について
🐸
例)バンクシーのシュレッダーの作品など
自分の経験ではないですが、きれいな人を汚したい、破壊したい(所有したい、支配したい)的な感情、衝動が世間的に存在すると思っています。
🐥
・「好きな子に意地悪したい」みたいなこと?
対象が好きな子だった場合、相手の様子をうかがっている気がしますが、美への破壊は何を求めているのでしょうか。
🐬
・そもそもその破壊に理由はあるのか
手段なのか目的なのか
例)環境活動家が芸術作品を破壊するのは手段的なものなのではないか?
■「美しさ」はどこにあるのか?
🐥
・物自体にあるのか、鑑賞者の経験や教養にあるのか
今日の対話を通して考えると、美しさは鑑賞者側に委ねてられそうな気がしました。
🐸
美しいがそもそも感情なのでは?「美しい」が何かを説明するときの客観的な要素ではないと思います。
となると普遍的な美しさは多分ないのでしょう。
~主催者雑観まとめ~
🐬
前回の余裕についてに引き続き、Twitterのスペースにての開催となりました。
参加人数3人と、前より一人人数が多い対話でしたが、バランスよくお互いが思っていることを話せていたと思います。
自分が用意していった、直感的/論理的や保存される/瞬間的などの美の分類方法に加えて、🐸の美しさの絶対値理論は、整然と混沌といった相反する美の特徴をシンプルに言語化できててめっちゃすげえと思いました。