今こそ立ち上がれ!「労働者」たる年金生活者達よ!
こう聞いてビックリしたあなた、 年金生活者は「労働者だった」のか?または「著者は組合活動家だったのか?」もしくは「我が意を得た!」と思い始めたあなただけに、私からの提案が以下のものです。
私が65歳で定年を迎えたばかりのことです。自宅から渋谷まで、いつもの「買い出し都バス旅」をのんびりと楽しんでいた時のことです、「それ」を目撃したのは。
その日はちょうどメーデー、そう「労働者のお祭り」の日(5月1日)のことでした。
『労働者たちが集まり、権利を主張する日として、ヨーロッパをはじめ各地に広がったのがメーデーです。今では5月1日を「労働者の祭典」として祝日とする国も多く、世界中で労働者たちのイベントやデモ行進などが行われています』(日本労働組合総連合会HPより)
その時、偶然目にしたのはもちろん「いたって平和なデモ行進」なのですが、長くダラダラと続くその行進のおかげで、いつもより道が混んでおり、バスは頻繁に進んだり止まったりを繰り返していました。
何しろ時間だけはたっぷりとある私です。ただぼんやりと車窓から、延々と続くデモ行進を眺めていると、その幟が目に飛び込んできたのですが、なんとその幟には『全日本年金者組合』とその書いてあるではないですか!
えっ?この「年金組合」って、どっかの企業の「年金事務職員の組合」かなのかな?
そんなことを考えながらじっとその「組合員の行進」をぼんやりと眺めていると、あることに気がついたのでした。
失礼ながらその組合員の方々は、「かなり高齢な組合員」がほとんどで、そのせいでもないでしょうが「実に平和な行進」、つまりゆったり、のんびりとしたデモ行進をしていたのです。
その姿を目の当たりにした私が受けた衝撃は、現役の人事部長時代に対峙した「管理職者組合」ほどではないにせよ、まさに「目から鱗もの」なショックものでした。
そっか、年金生活者も労働者なんだ……。
ちなみに後日同組合のHPを拝見してみると、冒頭で「高齢者の命とくらしを守り、ひとりぼっちの高齢者をなくすために」を目的として1989年8月31日に結成され、当初から「最低保障年金制度」を要求としてかかげ、実現のために運動されてきたことが分かりました。
さらに「医療や介護など高齢者の暮らしと命を守る運動にも力を注いでおり」、またそれと同時に「ひとりぼっちの高齢者を無くし、みんなで、生きがいや、楽しみ、趣味などで生き生きと暮らせるように、それぞれの地域の支部が活動しています」とも紹介されていました。
それまで知らなかったとは言え、つくづく「世の中は(管理職者組合と言い)どんな組合でも作れるんだな」と内心感心しながらも、遅々として進まないバスの中からその平和行進の様子をぼんやりと眺めていた記憶があります。
それからしばらく時がたち、今度は「61年ぶりのデパートのスト」も起こったりしましたが、そこでフト閃いたのが、前述した「年金者組合」もひょっとしたら「ストライキができないものかな」と言うもの。
もし仮に、年金受給者がストライキをするとしたら、一体どこの誰と何を団体交渉することになるのだろ?、そもそも「スト権の確立」はどうやってすればいいのだろうか等々、そうなるといつもの私の悪いクセ(妄想癖)が止まる気配はありませんでした。
「やっぱり団交交渉の相手側は厚労省大臣だろ」
「それでもって我々からの要求項目は『年金支給額の上限撤廃』、併せて希望する者にはこれまで納付した厚生・国民保険料の即時全額返金(当然利息付き)」を要求する!だな」
こんな妄想をしていたら、その日はなんだかワクワク、面白くなってしまった記憶があります。
残念なことに国は「最低限の生活保障」である生活保護より低い年金を平気で支給し、一方で「抗議」の“こ”、「ストライキ」の“ス”の字も思いつかないほど飼い慣らされてしまったのが今の年金受給者の姿だとしたら、
「今こそボクと一緒に厚労省へ乗り込もう!」
と叫びたくもなるのですが、繰り返しますがこれらはあくまでも「私のいつもの妄想」の一コマです。
とは言うものの、少なくとも何も主張もしないでただ「やられっぱなし」というのも、いかがなものかなと、温厚な年金生活者のデモ行進を目にして、ふと妄想が膨らんだのでしが、それならば最後にせめて「メーデー、メーデー、メーデー!」と心の中で連呼をしながら、「年金制度改革への救難信号」を発しておきたいと思います。