【自己紹介】Johnnyが出来上がるまでの物語
自己紹介してなかったので、今更ですが、ご挨拶です。
皆さまこんにちは、Johnny Hirohashiと申します。
TwitterではJohnny (@JohnnyHirohashi)の名で日々呟いています。
僕は、USCPAを取得して早10年以上が経過しているのですが、
会計系人材の成功をアシストできればと思い、USCPA取得後の高収入キャリアの構築とそのライフついて、noteを書いています。
なぜか?
たまたまググったら、「USCPA 意味ない」って予測変換が出て来たから。
USCPAを取得しても稼げてない人が多いのか、と思ったので。
だって、高収入得て満足していたらきっとそんな検索しないから。
わざわざ母国語じゃない言語で頑張って異国の公認会計士試験に受かったのに、満足に稼げてないのは不幸でしかないので。
そんなわけで、このnote開設に至ったわけです。
これまでの経歴
自己紹介ということで、一通りの経歴を書いておくと、
という感じでございます。
途中、PEファンドに内定を頂くも、辞退したり、IPOを経験したりしており、文字通りとにかく色々な経験は積んだ20年弱と言えるのではないかと自負しています。
そんなオッサンの昔話に興味を持つ人がどの程度いるかわかりませんが、とりあえずもう少し深掘って自己紹介を書いてみたいと思います。
長いです。
よろしければ、スキとフォローをして、分割して読んで頂ければ。
そもそも、なぜUSCPAを受験しようと思ったか?
大学生の頃に勉強を開始しました。遠い遠い昔の話です。
会計に全く縁のない生活を送っていました。というか、会計士の仕事って何なのか、よくわかっていなかったくらい。
大学でごく普通に遊びまくっていて、そろそろ就職活動を考えなきゃという大学3年の夏頃。偶然、友人がUSCPAに興味を持ち、スクールの説明会に行くというので、便乗しました。
英語が得意だったし、これはUSCPAしかない!!となりました。
カッコよさそう、と。
オレは金持ちになるぞ、と。
短絡的でアホですね。
学生時代、アラスカでの初回受験は撃沈
即断で勉強を始めたものの、
就職活動とUSCPA受験は上手に両立できず、結果的に不合格となりました。
学生で時間有り余ってたのに受からなかったの?
と言われそうなので、少し言い訳をしておくと、当時は今より試験難しかったんですよ。(単なる負け惜しみだけど)
おまけに、学生でも受験できたのが、アラスカくらい。
11月のアラスカ、外は-5℃。
優雅なオーロラなんて全く見えない、ただの田舎街・アンカレッジ。
クソ寒いのに、外歩いてるおばちゃんがTシャツ1枚だし。
近所の中華食堂でお勧めのチゲが出て来るし。
空港に熊が飾ってあるし!!
もう、何なんだよ、アラスカ!!
って感じで、ちょっとした大冒険だったんです。もう、試験どころではなかった。
…言い訳が長くなりました。
就職後、経理での葛藤
帰国後、大学を卒業し、外資系企業の経理部に就職、
そのまま、数年が経過。
この頃、大きな問題にぶつかっていました。それは、
経理がつまらなかった。
周りはいい人たちばかりで働きやすい環境だったんです。外資だったこともあり、日系よりは給料もだいぶ良かったんですけど。
でも、投資銀行(IBD) やM&Aのアドバイザリーの業務に転職したい。
同じ会計という知識を土台にしていながら、
彼らは世界的な大企業の合併や買収などすごい仕事を扱っているのに、
何でオレは毎月変わり映えのしない、仕訳を切り続けてるのか?
大学の時の友達で金融や商社でM&Aやってる奴らと比べてすごい差がついてしまっているんじゃないか?
そう考えると、人生詰む気がして、耐えらなくなりました。
ところで。
つまらないと思いつつも、世の中経理で勝ち組っているのかと思い知ったのも、実はこの時でした。あまりスポットライトの当たらない経理の裏側が知りたい方はこの記事をご覧ください。
話を戻します。
転職活動を開始するも、当然うまくいかず。
経理経験だけでは、どこもM&Aなんてさせてくれないんですよ。
"Let's get you out of your boring, accounting job!"
なんて言ってた外人のエージェントもいましたが、そいつから
"I have an exciting accounting role of XXX company!"
って紹介が来た時はギャグかと思いましたよ、ホント。
どうしたらM&Aの仕事に転職できるかを必死に考えて、色んな人にインタビューしまくって、そこでようやく、海外のMBA留学かUSCPAという選択肢に行き着きました。
この時、色々検討を重ねて、どこかの総理大臣みたいに検討を加速して、最終的に「USCPAを取ってBig 4のFASに入る」と決めました。その時の検討内容については、以下の記事に詳細に書いていますので、参考にして下さい。
USCPA、結局はやる気次第
この時にAbitusの再受講制度が使えたため、テキストと問題集の買い直しだけで済んだのも大きかったです。Abitusには感謝しかないですね。
どうでもいいですが、「試験後にテキストどうしました(メルカリとかで売りました)?」とその後何人かから聞かれたことがあるので書いておくと、合格直後に試験制度が変わったタイミングで捨てました。邪魔だったから。
あ、これでも本当に感謝してるんですよ?
ちなみに、この時は既に試験はPC化していたものの、日本受験が解禁となる前で、僕の場合はハワイに行って受験していました。合計3回、試験+ハワイ旅行をしたことになります。日本受験するのとコストはどちらが高いんでしょうかね…。
USCPAは範囲が膨大で大変な試験ですが、
結局はどれだけやる気があるかが全てなんだと思っています。だって僕自身、学生の時は撃沈していたのに、この時は働きながらでも、勉強開始から4科目全て合格するまでちょうど1年半、expireなしでやり切っていますから。
明確なゴールへ猪突猛進する奴って強いんです。
勉強法とモチベーション維持方法については記事にしているので、よければご参考にして下さい。
USCPA取得後に晴れてFASへ転職
USCPAを取得しても、転職活動は大変でしたが、何とかBig 4のFASに滑り込み、新たな人生がスタートしました。
FASでの生活は、
ジェットコースターのような、いや毎日が出合い頭の事故のような、様々な経験をさせてもらいました。
僕は主にTSでの財務DDや、CFでFA業務を経験したのですが、
例えば、
突然「明日からこの案件でアメリカ行ってきて」とか何度もあったし、
「男気出してできるだけ高く買う」って勘違いした社長を説得もしたし、
外資系投資銀行(IBD)の人達が、午前2時に平気で電話かけてくるし、
クライアントの要求で75年先までの財務モデルを作ったこともあります。
余談ですが、75年先くらいになると、何を間違えても価格に影響ないです。DCFで割り引くと限りなくゼロに近くなるので。それより、そんな先までこのクライアントは生きてるつもりだったのでしょうか。
ちなみに、FASの業務内容を知りたい方は↓こちらをご覧ください。結構マジメに紹介していますよ。みんな大好き、男女の恋愛と結婚になぞらえながら。
FASでのこれらの経験が、明らかに自分を強くしてくれました。
激務を経験したことで、大変でもやり切るクセはついたし、他の業務に就いても何とかやっていけるという自信もつきました。
ついでに言うと、
たぶん、経理時代よりモテたと思うし、そのせいかフルパワーで働き、フルパワーで遊びました。結婚もしました。
あ、別に、聞いてないか。
また、更にもう一つ大きな変化が。
FASでM&Aを経験した後には、転職エージェントから手のひらを返したように、ファイナンス系の仕事は基本的に何でも紹介されるように変化しました。
もちろん、受かるかどうかは別としても、IBDやコンサル、PE、CFOなど、あらゆる職種への間口が広がりました。
そんなFASへの転職に興味が湧いた方は以下をご覧ください。
M&A未経験で何とか受かった僕の経験を余すところなく記載しています。 マガジンで購入頂くと、結構割引になっています。
ベンチャーCFOとしてIPOを経験
FASから転職する時に、
国内系PEファンドから内定を頂いていて、そこへ行こうと決め掛かっていた矢先に、とあるベンチャーを知人経由で紹介されました。
どうやらCFOを探していて、IPOを目指しているとのこと。
正直、自分の経験が活きるか不明でしたが、それまでM&Aをやってきたことに加えて、IPOの経験が積めるのは魅力的でした。
更に、この会社は東京にしか拠点がなかったことも良かった。
日系のPEファンドだと、国内の田舎の投資先とかに週の4日くらい常駐する可能性とかもあり、正直家族を東京に置いてそういう生活をしたくなかったため、ベンチャーへの転職を決めました。
なお、IPOに興味がある方は、以下で記事にしているので、ご覧ください。
IPOとFP&Aに特化、経理はお任せ
CFOを引き受けたものの、1つ大きな問題がありました。
外資の経理の一スタッフの経験しかなかったため、IPOに耐えうる、上場企業水準の経理業務を経験していません。
しかも、経理好きじゃないし。(何度も言い過ぎですかね)
でも、本当にラッキーだったんですが、経理が得意な公認会計士の経理部長が来てくれて。
そこで僕自身は、その経理部長と一緒にIPO準備を行いつつ、まだなかったFP&A機能を導入することを中心に業務を行いました。守りの管理部長と攻めのCFOみたいな関係。物は言いようですが。
日本の会社ではFP&A機能はないことが多く、あっても経営企画の一部ですが、絶対CFOとして必要な組織であると主張して導入しました。
そのおかげもあって、IPO審査での事業別の業績とKPI、その背景についての細かい細かい、本当に細かい質問についても対応できました。
副業のつもりで会社を設立、そこから独立へ
その後、IPOが何とかうまく行き、少しばかりのストックオプションも頂きました。
何も知らない周囲からは、億万長者と勘違いされたりもしましたが、実際の所、そこまでめちゃくちゃすごい額ではなかったし、そもそも退職して1年経過するまでは、株売れないんですよね。インサイダー情報知り過ぎているので。
そんなタイミングで、副業と節税を目的に、妻を社長にして会社を設立しました。ここでは細かいことは省略しますが、その辺のハックを以下の記事に記載しています。これは我ながら優れものと自負していて、夫婦で手取りが大幅にアップしました。
なんかここまで来ると、書くのに疲れてきて、雑になってきたのが自分でわかるんですが(書いている今、平日の深夜1時過ぎ)…
現在は上記の会社をベースに、独立しています。
カッコ良く言えば、「経営コンサルティング会社の経営者」ですが、
まぁ実際には自分と妻が共同で代表をしている合同会社で、社員もゼロです。二人でちょこちょこ、業務委託で色々なコンサルティング業務を請け負っています。
この先、どういうストーリーを紡いでいくかはわかりませんが、楽しくやって行きたいと思っています。noteはこれからも、思い付きで好きな時に書いていきます。
長文お付き合い頂き、ありがとうございました!
こんな内容で5,000字も読むなんて、あなたも大変な物好きですね♪