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子供の時の小さな挑戦は大人になって花開くって話
子供の時の経験は重要だ。
そんな話はよく聞くし、実際にそうだと思うんだけど日常は忙しくて目まぐるしく流れていくから冷静に立ち止まって「子供の頃の経験が自分を作っているのか」なんて、そんなことをしっかりと考えることができない。
けど僕はありがたいことに日々それを実感することができているから、少し文章にしたいと思う。
20代、30代の自分の人生
僕の20代、30代(現在34歳)の人生はまさに「挑戦」であるとか「修行」であるとかそんな言葉がまさに相応しい。
18歳から始めた芸能界での仕事でひたすらにオーディションを受けたり、
日々徹夜でテレビドラマを撮ったり、
脚本を書いて映画を撮ってコンテストに出したり、
また言語を取得してオーストラリアに行ったり、
子供ができて結婚して起業したり、
ベンチャーの社長として余裕なんて全くない20代を過ごしてきた。
30代に入り余裕ができるかと思ったけど全くそんなことはなく、それどころか従業員数が増えていき会社の規模が大きくなってくると「まぁいいだろう」となんとなくやり過ごしきてきた小さな問題が大きく膨らむようになる。
今までだと数十万円とか大きくても数百万円で解決してきた問題も数千万円、数億円と必要な現金も大きくなり「僕を信じてください」という言葉は変わらないが責任がどんどんと重くなっていく。
また子供の成長とともに子供達の「記憶」がはっきりとしてくると事業の失敗で転校や引っ越しをさせたくないから、より大きなプレッシャーを背負うことになった。
自己陶酔するわけではないがまさに険しい山道を登っていながら、大雨が降ってきて、落石があって怪我をしながらそれでも山頂を目指しているようなそんな気持ちになる。
もちろん自分で「登る」と決めた山だから弱音なんて吐かずにしっかりと登っていくしかないのだけれど、それでも心が折れそうになることも多い。
ただ、そんな時にいつも思い出す光景があるのである。
きつい時に思い出す景色
「本当にきついな」そう思った時僕は早朝に起きて少し長めの散歩をする。
その時にいつも脳裏によぎる光景がある。
それはラグビー部だった時の試合の光景だ。
当時中学生で体も小さくいじめられっ子だった僕は凄くベタなのだけどラグビー部の監督に「鍛えてやるからラグビーをしよう」と誘われてラグビー部に入った。
当時は本当にひ弱だったし、とにかく練習がとてもきつかった。
今では完全にアウトだけれど水を飲む時間も限られていたし、練習メニューに「吐くまで走る」とかいうメニューがあったり、
練習試合も中学生なのに社会人チームと戦ってボコボコにされたり、
とにかく厳しく辛い部活だった。
おかげで強豪と呼ばれるチームではあったが正直自分は全くついて行けていなかった。
そんな時監督が僕達に伝えてくれていた言葉が2つある。
「努力は報われる」と「しんどい時こそ上を向け、相手もしんどい」である。
ある県大会の決勝戦でのこと、
その試合に負けると自分たちは引退なのだけれど、
相手は永遠のライバルで戦力としてはほぼ五分五分か少し劣勢で対戦成績も少し負け越しているようなチームだった。
試合は本当に均衡していて、今考えても本当にいい試合だった。
後半に入り力が均衡していればいるほど体力も精神力もすり減っていく。
そんな時に例の2つの言葉を思い出すのだ。
僕たちは誰よりも努力してきた、あいつが休んでいる間も走っていたし、年末年始も休まずボールを蹴っていた。
雨の日も台風の日も練習ができなくても室内で他の生徒に笑われていても1階から屋上までダッシュしていたし、視聴覚室に篭って試合の振り返りもしていた。
この努力が報われないわけがない。
「努力は報われる」
そう思うと力がみなぎってくる。
試合の後半足が重く、全身を使うラグビーはとにかくきつい。
しかし僕たちは誰一人として肩を落として、息をするメンバーはいない。
全員上を向いて笑ってるのだ。
「しんどい時こそ上を向け、相手もしんどい」
本当にきつい時に空元気で笑っているとなんだか本当に力がみなぎってくるから不思議だ。
相手がゼェゼェと肩で息をしている時に僕たちは相手にバレないように痩せ我慢しながら余裕な顔をして息をしている。
本当は体が酸素を求め、体が休めと訴えかけてくる。
しかしだからこそ上を向き自分たちを奮い立たせる。
1歩、あと1歩だけ遠くにボールを運ぶ、あと1秒だけ長くボールを持っている。
結果試合終了のホイッスルとともに両方のチームが号泣する。
ノーサイド、試合終了とともにお互いの努力を称え合う。
なぜか僕たちよりも涙の数が多いスタンドが僕たちの努力が報われたことを示していた。
早朝の、散歩の途中にいつもこの光景を思い出すのだ。
体験の時期の重要性
今客観的に考えると今向き合っている数億円に関わる、ステークホルダーも多い今の挑戦と、中学生の勝っても負けても特に何も生まない試合。
どちらが大きな挑戦なのか?
というと前者であると答えざるを得ない。
実際にこの後も自分はさまざまな挑戦してきているし大きな成功体験やハードな経験は多い。
しかし僕が大きな挑戦の中で、心が折れそうな時に思い出すのはいつもこの経験なのである。
これは体験する時期が非常に重要であったと思っている。
自分が本当に何者でもなかった中学生の時に経験したからこそ僕の人生に大きく影響を与えているのだ。
そして「あの時あれだけ頑張れたのだから、今も大丈夫」と信じることができるのだ。
幼少期の全力の挑戦が大人になっても自分を支えてくれているのだ。
今考えると僕がラグビー部に入ったのは2年生の途中で引退したのも3年生の途中なわけだから実質1年半くらいだけの経験だった。
今1年半とか2年なんてあっという間に過ぎていくのだけれどとにかく強烈な思い出なのだ。
上で「今の挑戦と、中学生の時の挑戦どちらが大きな挑戦だったか」と書いたが、
実際のところ重要度で言うと間違いなく中学生の時の挑戦の方が重要である。
時間は帰ってこない、あれくらい無責任に、それでも熱く、体力も精神力も限界というくらいに挑戦した「中学生」という時間は一生戻ってこない、
数億円かけても戻ってこない熱狂なのだ。
そしてそういう思い出は早ければ早いほどに心に刻まれ未来を作っている。
今からでも遅くない、人生で1番若いのは紛れもなく「今」なのである。
最後に
僕は年間数百人のファッションを中心とした事業を起こそうとする人たちの相談を受ける。
そんな時に特に若い人たちの場合は「とにかくやらないという選択だけは取らないでほしい」と伝えている。
だって、大人になってから「やらない」という選択肢は何度でもできる。
だけど「やる」という選択肢は若い時にしかできないこともあるのだ。
「やる」ということは点ではなくその先も体験が続く。
しかし「やらない」というのはその場で未来が消えてしまう。
大人になると合理的に「やらないことを決める」必要が出てくるのだけれど、
心を作るとても大切な若い時期はとにかくいろんな刺激に触れてほしい。
僕も起業家として、父親として子供達に負けないようにもっと挑戦していこうと思うし、子供の大きな挑戦は一見すると僕たちには小さく見えてしまうかもしれないが、否定せずに熱狂して応援していこうと思う。
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