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勝ちたい私は熊を噛む

  研究は砂漠の中から1粒のダイヤモンドを探すようなものだ。

 研究は失敗して当たり前。
失敗を重ねて壁にぶつかった時に、どう切り抜けるか、で全てが決まる。「練習で実力発揮できないなら、本番で上手くは行かない。」、と聞いた時は体育会系か?と思ったくらいだ。
実際、強靭な精神力と体力は、研究生活には欠かせない。『興味』や『面白さ』と書かれた人参をぶら下げられて、道無き道をただひたすら走りつづける。
恐ろしいことに、教授ポジションの研究者ともなれば、長年の戦に勝ち続けたバケモノ級の猛者しかいない。
誉ある『学位』を得るためには、この猛者たちとの痛烈なラップバトルに勝たなければならないのだ。

 最高学年の1月、冷え切った身体を布団に押し込めた私は焦っていた。
死ぬ気で書き上げた論文の審査が通った私は、前の記事に書いた通り16kgも落ちていて、文字通り満身創痍。
このままでは後に控える審査会も公聴会も、百戦錬磨の猛者たち相手に戦える気がしなかった。
そんな時に耳にしたのが、同物同治だった。
中国の薬膳における、身体の中の不調を治すために悪い箇所と同じものを食べる、という考え方だ。
その当時私はどこか頭のネジが外れてしまっていたようで、「ということは、自分より強い生物を食べれば強くなれるのでは?」、となぜか確信していた。

 自分より強い生物といえばなんだろう。

普段スーパーで食べる牛・豚・鳥は、人に飼われている草食動物。ちょっとレアな羊や鴨も対象外だ。
どうせなら野生で強い肉食動物のお肉がいい。
既に指先は自然とジビエを検索していた。

 審査会の朝、私は一睡もできてない顔で肉を焼いていた。フライパンの上でじゅうじゅうと音を立てるのは、肉のスズキヤから取り寄せた熊じんだった。

https://www.jingisu.com/c/yamaniku/kumaniku/7001

熊肉のジンギスカン。

 てっきり羊のものだと思っていたジンギスカンだったが、肉のスズキヤでは定番のお肉だけではなく、猪や鹿、熊といった山肉まで揃う。9畜種31種類の中から、心に決めたのが熊だ。
熊といえば、小野小町の好物だという熊の手を連想してしまう。高級食材だし下処理も面倒そう、と購入前はやや後ろ向きになっていた。しかし、熊じんは学生のお財布に優しい。おまけに下処理・味付けも全て済んでいて、焼くだけと、コスパだけでなく、タイパまでも良いのだ。
なにより胃腸を刺激するようなたれの香りが、細々とした私の食欲を掻き立てた。

 結論から言うと、熊肉は美味しかった。
初めての熊肉は想像していた、野生味溢れすぎているお肉とは違っていた。
丁寧な下処理のおかげで、臭みは感じないし、肉質も固くない。脂身は甘く、歯応えのある赤身が口の中で旨味が広がる。主張しすぎずくどくないたれと、ほんの少し野生味を感じる肉がよく合うせいで、箸が止まらなかった。

 食事を終え、歯磨きをした後に鏡に映った私の顔は、ただ焼いて、食らっただけなのに、どこか勇ましくもあった。
思えば、あすけんのお姉さんが引くほどひどい食生活だと心の中で笑って家を出た。おかげ様で審査会、公聴会と熊パワーで無事乗り切ることができた。なんなら上出来だと褒められてしまったので、熊と精肉店の方々には感謝しかない。
華やかな研究生活では決してなかったが、悔いなく走り切ることができた私はきっと幸せ者だろう。

 私は絶対大丈夫。
絶対、は嫌いな言葉だった。なのに、なんの確証もなく思えた、あの朝の清々しい気持ちは今でも忘れない。 
 今もいざという時のために、我が家の冷蔵庫には熊じんが控えている。





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