性の多様性
多様性が叫ばれる時代。それはあらゆる分野においてそうなってきている。
「こうあらねばならない」とか「こうでないといけない」というものが悪として捉えられてきている。
今までの社会は、物事は何であっても理由を求められてきた気がする。でも、「理由を求める」「理由がないと社会的にはダメとされる」というのが良くないのかもしれない。
「そういうふうにできている」と考えれば、なんて楽なのか。
特にそう感じるようになってきたと実感するのが、「性」だと思う。
「性」は「こうでなくてはならない」というものが、つまるところ「欲」をつまらないものにしてしまったんだと、最近実感するようになってきた。
「性」を「こうでなくてはならない」から「そういうふうにできている」と考える曲がり角に 差し掛かったどころか曲がったと思う。
最近、自分の性対象が変わったなと感じるようになった。
自分は性自認は男性であり身体も男性で、恋愛対象は女性だし、性対象も女性である。
これは昔も今も変わらないのだけれど
筋肉質な男性のゲイポルノに興奮するようになった。特に、そうした男性が女性相手に性行為にふけっているポルノである。
いわゆる一般向けの「AV」ではない。ゲイ向けのポルノのうち、「男女モノ」と言われている、おそらくその界隈ではあまり需要がないであろうジャンル。
これが、なぜ自分的にはヒットするのだろうと考えた。
一般向け(男性向け)の「AV」は、あくまで女性が主役で、出てくる男優さんは(昔と比べればずいぶんビジュアルが良くなったが)基本的に視聴者にとって見た目はどうでも良い。そうした男優を相手に、女優は自己の性をアピールしないといけない。
・・・これがリアリティがない。
演技であっても、やはりお互い「美しい」と思い合わないと本当に気持ち良いは実感できないと思う。
これが、上記のゲイ向けのポルノで男女が交わるものであると、男優が主役であるためか、肉体が美しい。女優もどこかうれしそうである。
これが結果としてリアリティにつながる。
だからと言って、自分は男性と交わりたいとは思わない。またこれがややこしい。
いったい、自分の性自認はどこに向かっているのだろうか。
一つ感じているのが、最近、男性的な女性に惹かれる。
FTMの方が気になる。性的に交わったらどうなるのだろうと思うところもある。
あくなき性の探求心を感じる今日この頃。
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