ないものねだりは狂気と共に
異性として意識されるって何ですか?
はるか昔大学生の頃、私が速攻で辞めた創作京料理のバイト先の先輩が「道で知らない女に話しかけられはじめたら、俺も終わりだわ」的なこと言っていた。
どういう意味なのか先をほどこすように見上げると「だってそれはもう男として意識されてないってことだろ」とカッコいいことをいう俺、カッコいいみたいな顔をつくってみせてくる先輩。
しかしこの先輩の話をそのまま鵜呑みにしてしまうと、私は人生のうちの大半を女として意識されたことがない、ということになってしまう。無意識とはいえなんとも失礼な男だ。
けど先輩の言ってること、なんか分かるかもと思ってしまったのも事実。
要は無難そうな人に見えるんだと思う。ある程度清潔感があって、とんがってなくて、柔らかそうで、丸いみたいな。
ザ・話しかけづらい女 in銀座
それから数年、東京で就職。多くの人と同じように満員電車の洗礼を受け、赤の他人に埋もれつつ会社に行っていたあの頃。ふと先輩の持論を思い出すようなできごとがあった。
きっと心底行きたい場所に向かって歩いている訳でもないくせに、なぜか朝のホームは一直線に迷いなく歩いていく人が多い。いつもと変わらない風景を変わらない冷めた目で、でも自分もその中の1人であることに気づかないふりをしてやり過ごす。
次は右側のドアが開くから一旦外に出よう。機械的に移動しようとドアの方に寄ったその瞬間、ふわりと嗅いだことのない海外の香りがそっと風にのって私のもとへやってきた。
匂いの先、そこにいたのは赤い靴底の、どう考えても朝のギッチギチの満員電車にはそぐわないほどたっかいピンヒールを履いたジャンプスーツのお姉さんだった。
これが先輩のいっていた意識される人ってやつなのでは?瞬時に思い出す。
どう考えても自分が道に迷っていて、そこにこのお姉さんしかいなかったとしても私はきっと話しかけられないだろう。全身から放たれる威圧感と刺々しいオーラ、何ならカバンにもちょっと触っただけで痛そうなトゲトゲがびっしりついていた。
かっこいい。
多分今の私が全く同じ格好をしてもこうはならない。纏う空気が全然違うのだ。自分とは。
オーラは変わらない
あれから数十年。成長速度に見合った変化はないまま今にいたる。人の持って生まれたオーラ的なものはおいそれと変わってはくれないようだ。
今日も横断歩道で信号待ちをしながら「帰りに買う炭酸は何本必要か?あんまり欲張って買うと持って帰るの重いしな」なんて取り止めもないことを考えていると、
「Excuse me~ I want to go to~」と明らかに海外から来た旅行客の女子3名に囲まれる。どうして、イヤホンしてるのに。
しどろもどろになりながら、「I'm not a local」と返すと、彼女たちは苦笑いしながら気まずそうに去っていった。
ないものねだりは狂気と共に
こういうことが起こる度、銀座線、ルブタンのピンヒールを綺麗に履きこなしていたあのお姉さんを思い出す。
他人から一歩引かれて見つめられるってどんな気持ちなんだろうか。女性に憧れる気持ちは、なんなら異性を好きになるより純粋で、なおかつ恐ろしい狂気を含んでいるようにも思う。
だって一度も話したこともない、たった一回遠目に見ただけのあの人を今もまだこんなに鮮明に思い出せるから。