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昨日、わたしは4年ぶりに握り鮨を食べた。
今まで、家族が「おすし(まわる)食べに行こうよー!」と言っても、サイドメニューばっかり食べていた。
なぜかというと、前にも書いたかもしれないのだけど、わたしの父は、鮨職人だった。
父はALSでその頃はカウンターに立つことはできたけど、握力はほとんどなかった。

それなのに、なぜかカウンターに入るとピシッとした鮨職人だった。
その日の注文は、5人前の桶を10個。つまり50人前。助六(海苔巻きと稲荷)は、母がやるとしても、にぎりは相当な量だった。
父は思い通りに動かない手にくじけることはなかった。でも約束の時間はどんどん近づいている。一緒に帰省していた息子が一桶何分かかっているかを計測し、残りの桶数えて、逆算したら「じいじ、このままじゃ一桶〇〇分じゃないと間に合わん、、、」と言った途端、顔つきが変わり昔のようにお鮨を握りはじめた父を見て、わたしはこっそり裏の厨房で泣いた。

わたしは父の隣で助六を詰めたり、バラン(緑のギザギザしたの)を敷いたり、出来上がった桶を注意深くカウンター越しに兄に渡したりしていた。
それを見ていた息子はびっくりしていた。
父の仕上がりがどんどん早くなってゆく。想定していた時間よりも早い。

結局、想定時間をたっぷり残し、わたしと息子と母とで出来上がって重くなった10個の桶を車で運び、無事、届けることができた。
息子は「じいじすげぇ。どんどん早くなりよったよ!」と車の中で興奮気味に話していた。
出前から帰って来たわたしたちは、まだカウンターに立っている父にびっくりした。
「届けてきたよ。おもち、もらっちゃった!」と、お餅好きの息子、そして父。

父はカウンターで、みんなに聞こえるように言った。
「もう、しまいです。終わりです!」
この後、お店を開けることはなく、すべての注文をお断りし、休養に入った。

父が亡くなって4年、わたしは悔しくて、悲しくて、よその握り寿司は食べられなかった。それが、昨日、ひよっこりやってきた母と、兄と、息子と4人でショッピングモールに入っているちょっと良さげな回転寿司屋さんに行こうとみんなが言い出し、そこでお寿司を食べることになった。お昼時だったので、ランチを頼もう、ということになり、もちろんそこには4年間避けてきた握りが10貫。兄も母も一緒なら食べられる気がした。

わたしは4年間、握りを食べていないことを家族に話した。母も兄も驚いていた。
母は、「そうねぇ。食べきらんかったとねぇ、、、」としみじみしていた。

お寿司屋さんごめんなさい。まだおいしくいただけませんでした。
やっぱりわたしの中で、お鮨といえば父一択なのです。
でも父はいないので、少しずつ、機会があればお寿司チャレンジしていこうかなって思いました。

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