命のバトン
前にも書いたけど、わたしの父はALSという病気で亡くなった。
胃ろうも、人工呼吸器も父の硬い決心で断ってしまった。
父は、自分の家で最期を迎えたい、そう思っていた。
私たち家族もそう願っていた。
でも許されなかった。準備をする時間がもうなかったからだ。
搬送の手立てもなかった。
わたしの娘の誕生日は12/9だ。
父は9日の数日前から母の手のひらに(今日は)何日?と聞いていた。
母は「今日は7日よ。もうすぐ〇〇ちゃんの誕生日だね。」
ということが、数日続いた。そうしながら、母が父の手を取り9と手のひらになぞった。「今日は〇〇ちゃんの誕生日だよ。よかったね。嬉しいね。」と声をかけると、にっこりと微笑んだという。
翌日、母が「枕のタオルを変えようね」と下にかがんだ瞬間、急に父の容態が急変してそのまま亡くなったのでした。母は何度も何度も「お父さん、お父さん!」と叫んでいた。呼吸器の音と、ツーという電子音が病室に響いた。
わたしはその時、自分の家にいた。携帯電話が鳴った時、なぜだかわからないけどもう察していた。「出たくない、きっと悪い知らせだもん」電話から逃げるわたしにダンナが「しっかりせな。頑張って」と励ましてくれた。わたしは震えながら電話をとった。
取り乱した母を初めてみた。母は「まだお父さん、聞こえてるって、声をかけてあげて!」本当かどうかわからないがわたしは「お父さん、ありがとうね」と声にならないような小さな声をかけた。もう父の魂はここにはない、そう感じたからだ。
しばらくしてお医者さんがきて、機械を外し、病室に虚しく響いていたピーという音も無くなった。お医者さんが慣れた手つきで死亡確認を行い、病室を後にした。
父の命日は12月10日娘の誕生日の次の日だ。
多分、孫の誕生日を自分の命日なんかにしたくなかったのだろう。
おかげで娘は今でも夫と誕生日を祝っている。もちろん私たちも。
翌日は父の命日。わたしは月命日には、花を飾り、心の中で、ありがとう、お父さんの頑張りのおかげで、娘は楽しく誕生日を迎えて〇〇歳になったよ。と報告している。
父は私たち家族を守って一つにしてくれた。
闘病中、父の手と兄の手がそっくりなこと。そしてわたしの息子の手もおんなじ手をしていたこと、いろんなことがわかって面白かった。
病気の間にいろんなことわざを教えてくれたり、兄と3人でくだらない話で盛り上がってた時は、紙に虎渓三笑(こけいさんしょう)って書いて、意味のわからない兄妹はiPhoneで調べたり。この時、一瞬でも病気のことを忘れられてたらいいなと思った。
父は亡くなってしまったけれども命のバトンはしっかり私たちが受け取ったわけで、もしわたしや家族が、何か病気になったとしても一所懸命戦うことをお父さんに誓います。