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【238日目】 八犬伝

ご隠居からのメール:【八犬伝】

『八つ墓村』は昭和二十年代に評判になった伝記推理小説だが、それに対して江戸時代に人気を呼んだ読本は、滝沢馬琴ばきんの『八犬伝』だ。両書とも八という数字に特別な意味を持たせている。

明治時代のはじめ、坪内逍遥しょうようは、 「『八犬伝』の中の八士の如きは、仁義八行の化物にて、決して人間とはいひ難かり」と、批判した。(『小説神髄しょうせつしんずい』)。

八犬士は、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌という儒教の八つの徳目の化身であり、生身の人間ではない、生身の人間はいわゆる百八煩悩をそなえた矛盾だらけの存在だから、そのありのままを模写するのが小説の神髄だというのが坪内逍遥の主張だ。

馬琴は、『八犬伝』に続いて、九牛士きゅうぎゅうしの伝説に基づく読本の構想をねっていたという。これは、伯耆日野(現日南町)に伝わる「九牛士の伝説」を素材にしたものだ。

毛利氏が尼子氏を滅ぼしたのち、尼子の残党が伯耆日野で食料を略奪をしていたところ、小早川隆景が尼子残党を生け捕りにしたという話。隆景は生け捕りにした尼子残党を翌日、打ち首にする予定だったが、そこの住職が命を助けるようお告げの夢をみて、小早川隆景に懇願し、助けたという伝説。

すくなくとも、この地に尼子の残党がいたのだろうと思えるエピソードだが、残念ながら作品化は実現しなかった。


返信:【Re_八犬伝】

恥ずかしながら、「儒教」ということ自体よくわかっていなかった。調べてみると、孔子の教えなんだね。そしてそれが、論語。またひとつ賢くなった気がするよ。「八犬伝」も読んだことがないけど、八徳には興味があったので、調べてみた。

・仁:思いやり
・義:人道的な道理
・礼:感謝や敬う心
・智:物事の本質を知り善悪を判断する
・忠:誠実、忠義の心
・信:信じる心
・孝:親を慈しみ大切にする心
・悌:兄弟を尊敬し大切にする心

「義」についてはよくわからないが、人格者を目指すためのヒントになりそうだね。

昨晩、奥さんが、塾の面談に行くと「息子は変わっている」といわれたそうだ。個性と捉えていいのかわからないけど、もうすでに、親が勉強を教えるというステージではないので、知識は塾の先生にお任せして、我が家では徳を積む、サポートして行きたいと考え、家庭では「戒語を慎む」ようにしようと話がまとまった。

そんな話をすると、奥さんに、じぶんは、長谷部家の女性、母や姉、妹たちに感謝が足りないと叱られたよ。

特にお母さんに対しての対応が良くないとのことだったので、昔、お尻を叩かれた話をした。自分のなかでは「虐待」と捉えるほどの記憶で、幼いころから興味のない宗教の集会に週三日、無理やりつれて行かれていた。あの時間が苦痛でしょうがなかった。

集会の時間、長老の説教など興味がないから、眠ってしまうとお尻を叩かれる。しかも、小さな仕置部屋に連れていかれて、物差しやゴムで叩かれるのだ。「もうやめて、死ぬ!」と泣き叫んでも叩き続けられた。あのとき、だれも、助けてくれなかった。

人の心を救うのが宗教なのに、生涯消えることのない、こころの傷ができてしまった。そう、思っている。


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