【103日目】井上日召
ご隠居からのメール:【井上日召】
今朝は、パソコンの初期画面からOutlookの表示が消えた。他の手段で送信を試みることにしたが、はたしてうまくいくかどうかわからない。
弥左衛門さんの没年は大正四年だが、ゆき叔母さんは、大正十二年七月五日生まれだから、お互いに顔を知らない間柄だったようだね。ひいじいさんというのは、顔も知らないのがふつう。弥左衛門さんは依然として謎の人だ。
実の父親だって過去のことを語らなければ、何をしていたかもわからない。国務院実業部のトップは張景恵だったが、実権は次官の岸信介が握っていた。当時の関東軍参謀長が東条英機で、岸は東条に認められ、昭和十六年の組閣で商工大臣に抜擢された。現地採用の與一さんは内地に帰国することはできず、敵対するソ連との最前線の蒙古政府へ派遣されたーーこれは今でいう子会社出向のような人事だと思う。
そういえば、蔵書の中に、井上日召『一人一殺』という物騒なタイトルの本があり、読んだことがある。かなりヤバい右翼の大物だったようだが、もしかして自民党員の與一さんは日召に心酔していたのか。
当時の日本人には、大陸浪人や馬賊の頭領になるというロマンチックな夢があった。犬養毅も同じ夢を見たことがあるかもしれないが、「話せばわかる」と言ったにもかかわらず、暗殺されてしまった。
ダーウインの進化論の影響を受けたということは與一さんから直接聞いたことがある。弱肉強食の思想だ。
返信:【Re_井上日召】
雪枝おばさんが生まれたときには弥左衛門さんは亡くなっているから輿一さん兄弟には語り継がれるほどの曾祖父だったんだろうね。喜代太郎さんも、もちろん亀三おじさんが生まれたときには既に亡くなっているので、語り継がれている「何か」があったんだろうな。
「戦争と人間」では満州、新京の様子はとても都会的だった。都会から離れた農村では匪賊などに被害にあっていたようだから危なそうだけど、哈爾濱も都会で住みやすかったのではないかな。
あの時代は、色んな右翼「思想家」がいたんだね。玄洋社・黒龍会には日露戦争時に諜報活動をした明石元二郎や文官で唯一A級戦犯にさせられた広田弘毅元首相が所属していたんだね。
井上日召さんもヤバい人だね。日蓮宗の僧侶がよくもまぁ偏った思想をもって政府転覆を持つもんだね。近衛文麿が用心棒として囲っていたようだから、当時は、右翼集団も政治家もたいして変わらないのだろうね。
二・二六事件で青年将校をたきつけ、死刑にになった北一輝も民主主義を主張した思想家だったが、アメリカに敗れた日本は、北一輝の考えに沿った生活をしているようにみえる。
とはいえ、日中戦争がはじまる前の満州は五族が共存しているワンダーランドだったんだろうな。そんなワンダーランドの政府官僚として働いていた輿一さんは、一時、華々しい生活をしていたことだろう。