ご隠居からのメール:【古事記】
我が国に伝わる最古の歴史書『古事記』「雄略天皇」記に次の記述がある。
「長谷部の舎人を定め」とある。「舎人(とねり)とは、6世紀後半ころ国造(くにのみやつこ)またはその一族で朝廷に貢進され、天皇や皇族の護衛と雑役を勤めた下級官人のことだ。
家系図では、長谷部氏の祖は桓武天皇か清和天皇になっているが、実は6世紀後半にさかのぼる。古いということに価値があるとすれば、尼子氏、毛利氏どころか、清和源氏や桓武平氏よりも古い。
返信:【Re_古事記】
六世紀の頃から長谷部の名が存在しているとは、すごいことだね。1180年頃の信連が、長谷部を名乗ったのには、なにかつながりがあるのだろう。長谷部信連の経歴を調べてみると、信連は以仁王とそれほど近しい関係ではなかったらしい。
『源平盛衰記』には以下のように記されている。
三浦氏の五男として生まれた信連は、天皇に仕える身として京都で、長谷部を名乗るようになったのではないかね。また、古墳時代だと「物部麁鹿火」の流れから長谷部の名ができたと、どこかで読んだ記憶がある。どちらにしても、当時から戦を職業にしていたのだろう。
昨日のセミナーは、「立志継栄と人間学」というものでなかなか面白かった。そのなかで気になった箇所は、「志はもっているか?」「志は、なぜ必要だと思うか?」という問いに自分は答えられなかった箇所。そこから、論語や過去の偉人の人達のことばを紹介された。
志を持つには、じぶんのことを理解して、好きなコト、得意なコト、やりたいコトを洗い出して、他者が理解するものが志となると教えてもらった。
人間学はなかなか面白い。他にも過去の経営者の言葉として山田方谷が事例にあがり、嬉しくおもった。
参加者ディスカッションのなかで「自分は正しい道を歩みたい」と志を話す人がいたから、自分は「根がまじめだから、大人になってもロクデナシでいたい」と伝えておいた。
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