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【85日目】豊島陽蔵
ご隠居からのメール:【豊島陽蔵】
豊島陽蔵さんの情報は初耳だ。貴重な情報をありがとう。経歴を知って驚いた。嘉永五年生まれということは喜代太郎さんが嘉永三年生まれだから、ほぼ同年代ということになるが、喜代太郎さんは金鵄勲章も藍綬褒賞も貰っていない。そもそも、日清戦争や日露戦争のために出征もしていたかどうかもわからない。
おかげで徹さんが、随筆「尼子の落人」を読んで、「家柄を自慢しているね」と皮肉った理由がうなずける。オレとしては家柄自慢をしたつもりはなかったので、不本意な評だった。たしかに、「平家物語」で活躍している信連の子孫というのは自慢になるかもしれないが、その末裔である元信をはじめ落人一族はみな敗者だ。それでも何とか子孫は地をはいずりまわりながら生き延びているということを言いたかっただけだ。
しかし、『坂の上の雲』にも登場する陽蔵さんを曾祖父とする徹さんから見れば、その程度の家柄のことを随筆の話題にするのはちゃんちゃらおかしかったのかもしれない。もちろん『坂の上の雲』については二人の間で何度か話題に出たことはあるが、徹さんは曾祖父が二百三高地で戦った勇将であることは口にしたことがない。
それでも、豊島家のことを誇りに思っていたのは間違いない。佐藤信安さんも佐藤家のことなんかどうでもよい、豊島家の行く末のことだけを心配していたという。
『続尼子の落人』では、徹さんの随筆批判を引き金にしてわが家のファミリーストーリーを展開していきたい。
返信:【Re_豊島陽蔵】
豊島陽蔵さんが曾祖父ならすごいことだね。もう少し、調べてみなければ、、
【豊島家】
1852年生まれ:陽蔵さん
↓
1880年頃:●●さん
↓
1910年頃:博子さん・信子さん・弟さん
↓
1947年頃:徹さん
何か、ドラマがあるね。すると、佐藤信安さんは●●さん(博子:父)の弟。●●さん(博子:父)の弟である佐藤信安さんの子供として弘さん、博子さんが夫婦養子になったとすると理由が見えてくるね。
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