スクール長ダイアログ <大阪市住民投票から価値について考える②>
11月6日 神戸大学V.School長 國部克彦
アメリカ大統領選挙の決着がまだついていない中で,まだ決着がついてから1週間もたっていないのに,いわゆる「大阪都構想」の話をするのは,すでに旧聞に属する気もしますが,もう少しポイントを掘り下げておきましょう。
「これからの時代に新しい大阪にチャレンジするか,現状でとどまるのか。そりゃチャレンジしかないでしょう。」(11月1日投票日)
これは,「大阪都構想」の生みの親である橋下徹氏の住民投票当日(2020年11月1日)のツイッターです。橋下氏は,翌日のテレビでも,「大阪都構想は政治運動である」と明言していました。つまり,いわゆる「大阪都構想」は,それによっていくら節約できるとか,どれだけ経済成長できるとか,どの程度住民サービスが向上するかという,目に見える価値の問題ではなく,チャレンジするか,しないかの価値観の問題であると言っているのです。
この主張を見れば,大阪市民が大阪都構想の説明が不十分であると思っていることは十分理解できます。共同通信社の調査では,投票直前の10月23日―25日でも70パーセントの市民が説明が不十分と答えています。実際は,説明が不十分というよりも,これは政治運動なのですから,合理的に数字を挙げて説明することができないものなのです。したがって,反対派の数字も説明不能です。逆に30パーセントは説明を十分と思っているわけで,この程度の数字を挙げられただけで,信じてしまう市民が30パーセントもいるとしたら,その方が問題かもしれません。
この点については,マスコミが「説明不足」というお決まりの文句を繰り返したいために,挿入されている質問であることも見逃してはなりません。その裏側には,政治が言葉尽くして説明すれば市民は納得するはずという「錯覚」があるからです。人間は,どのような説明に対しても,それが合理的だから分かることはほとんどなくて,自分が分かりたいと思ったときに,適当な数字を取り出して「分かった」気になることの方が圧倒的に多いものです。これを「分かる」と表現して,その方向へ向かわそうとする圧力はある意味非常に危険です。
結局,いわゆる大阪都構想は,「改革するのか」,「しないのか」という,極めて単純な価値観の選択でしかありませんでした。この「改革」という言葉は,組織人ならば日常的に耳にする言葉と思います。一方,家庭のなかで改革を唱える人はまずいないでしょう。組織に所属していると,理由もわからず,次々と改革や改善を求められます。社長は,不況期はもちろん,好況期でさえも,危機感をあおって,組織を改革しようと急き立てます。国立大学も,政治家や政府に急き立てられて,全くやる必要のない「改革」をやらされ続けてきました。
しかし,「改革」を進めるためには理由が必要です。橋下氏が言うように,「チャレンジするしかないでしょう」というだけで人間は動きません。そこで,さまざまな数字を出してきて,「改革」しなければ悲惨なことになり,「改革」すればうまくいくという「説明」をするわけです。これでは,理路が完全に逆転してしまっています。
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