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価値と経済

―新型コロナウイルス緊急事態宣言に際して(2)-
2020年4月11日 神戸大学V.School長 國部克彦
 
 平時は多様な価値を追求できるし,また大いに追求すべきであるが,危機に瀕した場合は,価値に優先順位を付けなければならないことを前回述べた。現在の日本が直面しているのは,生命と経済という2つの価値の相克である。
 安倍政権が,緊急事態宣言の発出を最後まで躊躇ったのも,経済に対する甚大な影響を考慮してのことであると,何度も説明していた。しかも,発出してからも,その後の事業への自粛要請が厳しすぎる東京都の方針に経済への影響という点から待ったをかけるなど,価値の優先付けができていないことを露呈している。
 しかし,そこで問題にされる経済とは何であろうか。経済とは,人間が社会で生きていくうえでの基盤であり,生活そのものである。自給自足の生活でない限り,地球上の誰一人として経済なくして生きていくことはできない。このように考えれば,生命と経済の対立は,生命と生活の対立と読み替えることができる。
 生活は生命があってこそのものであるから,生命と生活の価値の優先順位は,当然,生命が第一,生活が第二になるはずである。しかし,それは人間が一人の場合であって,一人の生命と十人の生活,一人の生命と百人あるいは千人の生活の比較であれば,どちらに優先順位を付けるかということになると,理論的に正解を導出することはできない。しかし,この一人の生命を守ることが百人,千人の生命を守ることにつながるのであれば,ここには議論の余地はなく,生命が優先されることになろう。これは新型コロナウイルスに対するほとんどの国での共通理解とみてよいであろう。
 しかし,日本ではまだ生命と経済という価値の対立が続いている。それが典型的に表れているのが,補償問題である。緊急事態宣言の発出もこのせいで大幅に遅れてしまった。現在も,コロナ対策のため事業者に休業要請した場合,補償をどうするのかで,政府と自治体でもめているのは周知のとおりである。政府は,所得の著しく減少した世帯に,所得制限のうえ現金給付をするという案を示しているが,これでは生命と経済の優先順位が完全に逆転している。
 今,大切なことは,生命を守るために,経済を使うことである。終息した後の経済支援のために資金を投入するようなことを考えるべき段階ではない。休業するからその損失(の一部)を補填するのではなく,まず,休業させるために,生活を保障する最低金額を即座に供給すべきである。欧米の経済政策は,基本的にこの線で実施されている。
 しかし,日本は,休業補償は行わないという。その理由は,2つしか考えられない。それは国民の生命よりも守るべき大切な価値があるからか,財政の原理を知らないかである。実際には,この2つが複合することで,現在の大変不幸な状況が生じているのである。
 後者の点から考えれば,日本国政府は,安倍首相ら政府首脳が,よく「それには税金は投球できない」と弁明しているが,これは財政を税収と同一視している誤解である。日本国民の多くも,財政は国民が税金を納めて政府がそれを配分していると思っているであろうが,これは順序を完全に間違えている。国民が税金を納めて国家が配分するのではなくて,国家がまず貨幣を発行して,それを税金で回収するのである。貨幣の始まりを考えれば,たとえば日本銀行券が自然に発生することはありえないのであるから,これは当然のことなのだが,多くの人はこの順序を逆に理解している。正確には,逆に理解させられてきたのである。
しかし,税収の前に,貨幣の発行があるとすれば,国家は理論的にいくらでも財政を出動できるのである。アメリカ,イギリス,ドイツなどがコロナ対策で行っている大規模な財政出動はまさにこの線に沿っており,これらの国の首脳は財政の本質が分かっている。大量の資金を一時的に供給しても,あとで回収できれば,問題はないのである。
 ところが,財政支出は税収に縛られるという財政均衡という財務省の「神話」を信じ込まされている政治家には,補償したくても財源がないという発想しかできない。なお,このことは通貨発行権を持つ中央政府にのみ当てはまるもので,都道府県レベルの地方自治体には当てはまらない。したがって,地方自治体に補償を求めるのは,初めから限界がある。
 それでは財政均衡という「誤った理論」が財務省の方針となり,それを支持する経済理論が内外の学界でも通説となっているのは,なぜなのか。それは,「財政均衡」をもちだせば,国民からの財政支出の要求に対して,財政規律が保てるからである。実際,政府はいくらでも財政支出できるということになれば,価値の優先付けのできない政治家や政府は社会からの様々な要求を処理することができなくなる。
今回のコロナウイルス対策の補償問題でも,一旦,補償しだすとどこまで補償しなければならないのかわからないという説明を政治家がするのはそのためである。安倍首相は,ある事業に休業による補償をした場合,その事業に材料などを供給するサプライヤーの損失はどうなるのか,そこまで補償できないという主旨の弁明をしていたが,これなどは財政の基本がわからない指導者は財政規律に頼るしか術がないことを示している。
 ここまでの話を要約すれば,現在のコロナウイルス禍をめぐる経済対策の迷走は生命と経済の価値の優先順位を付けられていないことが原因であること,なぜ優先順位が付けられないかというと財政の基本に関する「誤解」が原因であること,なぜそのような「誤解」が日本の中枢に植え付けられているかというとそれがなければ財政規律が保てないからということになる。このように考えていけば,日本政府が一番重視している価値は何かが良くわかるであろう。それはこの段階に及んでも財政規律なのである。
 残念ながら,安倍政権が続く限り,また政権が変わっても財務省に財政均衡至上主義の思想が温存される限り,この状態は変わらず,このせいでコロナウイルス禍が拡大してしまうことは避けられないし,すでに拡大してしまっている。この問題を克服するためには,国民全体の価値観を変えるしかない。そのためには経済理論にはたとえ素人でも,価値の優先順位を多くの国民が真剣に考えて,行動に移すしかない。経済よりも生命が大切という優先順位の下で,多くの人が考え,動き始めたとき,社会が変わる。

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