価値と技術
―新型コロナウイルス緊急事態宣言に際して(4)-
2020年4月22日 神戸大学V.School長 國部克彦
問題が生じたときの解決には,何らかの手段が必要になる。手段にはハードとソフトがあるが,私たちの日々の具体的な困りごとの解決には,ハードな手段が必要になることが多い。これは新型コロナウイルス禍においても同じことで,ハードな手段,すなわち技術に対して大きな期待がかけられている。その最大のものは,何といっても,医療であろう。新型コロナウイルスに対する1日も早いワクチンの完成を人類全体が待ち望んでいる。もちろん,人工呼吸器などの医療技術の提供も大変重要な課題である。
もちろん,必要な技術は医療だけではない。新型コロナウイルス禍で失われた価値を取り戻すためには,多くの技術が必要になる。コロナウイルスによって失われた価値は数多いが,その中でも最大の喪失価値は,生命や健康以外では,移動の制限であろう。文明は,人類の移動とともに発展してきたといっても過言ではない。人間の移動が制限されることによって,失われた価値は数えきれない。
移動できないことによる価値の喪失は,教育現場でも深刻な問題である。学生や教員が学校に移動できず,教育という価値が失われてしまっては,人類にとって重大な損失である。しかし幸いなことに,教育に関しては,近年のICTの発展により,かなりの程度がカバーできるようになっている。これは技術が価値の復旧に貢献している好例である。
しかし,技術によって復旧された価値はかつての価値と同じではない。オンライン講義の結果失われた価値があれば,それによって得られた新たな価値もある。たとえば,オンライン講義では学生の表情から反応を読み取って教育を進めることはできないが,チャット機能を利用すれば受講生からの反応を即座に受け取ることができる。しかし,チャット機能によって,学生の表情から反応を読み取ることの価値がカバーされていると考えるのは正しくないであろう。チャットはあくまでも言語的コミュニケーションの手段で,表情や態度という非言語的コミュニケーションとは同じではないからである。
したがって,技術によって失われた価値の復旧を行う場合,技術は中立的なものではないことを理解しておく必要がある。むしろ,技術が持つプラットフォームによって,人間の価値が拘束されることに敏感であるべきだ。価値の創造において,重要なことは,当初自分が思ってみなかったような発想が,自らの中に生まれることである。そのためには,既存の知識の交換を超えた,異なる人間同士の交流が有効である。V.Schoolが目指す「価値創発」には,そのようなプロセスが不可欠なのであるが,現在のICT技術ではこの面で大きな限界がある。
ここで重要なことは,ICT技術の限界を指摘するだけではなく,技術の本質は,その枠組みの中に人間を押し込んでしまうことで,その結果失われる価値が常にあることに気づくことである。つまり,技術の枠組みから生み出される価値がある一方で,その枠組みに入りきらない価値が喪失してしまう。それは仕方のないことではあるが,その喪失に敏感になることが,技術による人間の支配を超えて価値を生み出すことに通じるのである。
その意味で,技術は可能性であると同時にリスクでもある。人類がこれほどまで物理的な移動手段の技術を発展させなかったならば,新型コロナウイルスが出現していたかどうかわからないし,仮に出現したとしても,これほど早く世界に蔓延することはなかったであろう。したがって,価値と技術は,親和的でもあり,相反的でもあることを理解して,コロナウイルス後の価値の復興に取り組む必要がある。そのためには,技術と親和てきであって,しかも技術に全面的に取り込まれない何かがである。その起源は,人間の内奥から湧き上がってくる感情にある。
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