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スクール長ダイアログ <ヴィトゲンシュタインの価値④>

10月15日 神戸大学V.School長 國部克彦

 なぜ,語りえぬものには,沈黙しなければならないのでしょうか。「沈黙しなければならない」ということは,逆に言えば,「沈黙しないこと」,つまり「語る」ことも,しようと思えばできるわけです。しかし,ヴィトゲンシュタインによれば,真か偽かがはっきりする命題以外は語ってもノンセンス(無意味)ということになります。無意味だから語ってはいけないのでしょうか?このあたりは,ヴィトゲンシュタインの謎と言われていて,彼自身は「沈黙しなければならない」ことを守って,何も語ってくれません。では,その禁を破って語ってみるとどうなるか,試してみましょう。
 ヴィトゲンシュタインに語りえないと言われた倫理を例にとってみましょう。「人を殺してはいけない」という倫理的言説を取り上げてみます。実はかなり昔に,「なぜ,人を殺してはいけないのですか?」という小学生の質問が話題になり,それにどう答えるかが社会現象になったことがあります。そのようなタイトルのまじめな本も複数出版されたほどです。それほど,この質問に答えるのは難しいことに,当時の日本人は初めて気が付きました。ためしにどうなるか答えてみましょう。


(標準語で)
大人「人を殺してはいけません」
子供「なぜ,人を殺してはいけないのですか?」
大人「それは法律で決まっているからです」
子供「法律で決まっていなければ,殺してもいいのですか?」
大人「法律で決まっていなくても,殺してはいけません
子供「なぜですか?」
大人「・・・・・」

(関西弁で)
大人「人を殺したらあかんで」
子供「なんで,人を殺したらあかんの?」
大人「その人がかわいそうやん」
子供「かわいそうと思わんかったら,殺してもええの?」
大人「そんな人はおらん」
子供「みんなに聞いたん?」
大人「・・・・・・」


 このようにどんな返事をしても最後は必ず負けてしまいます。なぜなら「人を殺してはいけない」は真偽を判定できる命題ではないので,真であることを証明することが,絶対にできないからです。では,「人を殺してもよい」のでしょうか。そんなことは絶対にありませんよね。しかし,命題としては真であることを証明できないので,それを語ることは,「人を殺してはいけない」という倫理を毀損してしまうのです。このような無意味な質問に語るだけで,「人を殺してもよいのかも・・・」と思う人を増やす可能性すらありそうです。では,どうすればよいのでしょうか。結論は,倫理は実践するしかないということですが,その前に,倫理ではなく価値を語るとどうなるかを考えましょう。



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